中世には
天文一七年(一五四八)四月九日には、今川義元から上松四郎兵衛に対し「阿野庄内原駅船壱艘」の「諸役并立使免許」が確認され、「海賊」の時の奉公が命じられている(「今川義元判物写」渡辺文書)。ここから、戦国時代になると当地が宿としてだけでなく湊としても発達し、水上交通の担い手が今川氏の水軍として編成されていたことがわかる。天正期(一五七三―九二)のものと思われる年未詳三月一四日の松平清宗書状写(角屋記録)によれば、伊豆から「原浦」に来た船が「あやまり船」として抑留されている。また天文二二年二月一四日には、駿府の御用商人友野二郎兵衛尉が、今川義元から原での木綿役徴収権を、
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東京都渋谷区東部の地名。行政上は神宮前および神南(じんなん)の一部にあたるが,範囲ははっきり限定できず,JR山手線原宿駅東側の一帯を漠然と指す。江戸時代初期,この付近を千駄ヶ原と称し,鎌倉街道の宿駅をおいたことから地名が起こったといわれる。江戸時代は武家屋敷や寺院が並び,明治時代は華族の屋敷が多かった。明治神宮創建(1920)とともに表参道が通じ,青山に向かってみごとなケヤキの並木道がつづく。第2次大戦前は日本で最初の本格的な集合住宅同潤会アパートのある通りとしても知られた。戦後はワシントン・ハイツ(代々木公園)のアメリカ軍相手の店が並んだ。高度経済成長期に入ってから青山とともにファッションの町となり,高級マンションや商店,喫茶店が軒をつらねる。若者たち,とくに女子中・高校生向けの店舗が多く,最近は表参道ばかりでなく,裏通りの竹下通りにまで及ぶようになった。休日には若者たちが集まって路上や広場で踊りまわり,現代風俗の展示場として,東京の新名所の一つとなっている。
執筆者:正井 泰夫
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東京都渋谷区の中央部、山手(やまのて)線原宿駅付近をいう。相模(さがみ)国(神奈川県)から奥州へ通じる道の宿(しゅく)駅があったことが地名の由来という。明治神宮に続く代々木公園の地は、第二次世界大戦後アメリカ軍に接収されワシントンハイツとよばれた。その軍人相手の衣料店、土産(みやげ)物店などができたのをきっかけとして、現在はケヤキ並木の表参道を中心に流行の先端をいく店が並び、ファッションの街となった。原宿駅付近の竹下通りやそのわきの小路には、ブティック、アクセサリー店、カフェバーなどが建ち並び、クレープやアイスクリームが各種売られ、20歳前の若者でにぎわう。近くにNHK放送センター、代々木競技場がある。
[沢田 清]
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…17世紀初頭の薔薇(ばら)十字団運動に重要な役割をはたした人物。薔薇十字団の四大著作のうち《世界の普遍的改革》《薔薇十字の伝説》《薔薇十字の信条》の3著の著者ではないまでも共同執筆者の一人であり,幻想小説風の奇書《化学の結婚》(1616)は彼の作品であることがほぼ確実とみられている。…
… 〈オカルト〉という語は16世紀前半からあらわれはじめたが,オカルト的信仰そのものの起源は古く,エジプトやメソポタミアの占星術,ヘブライのカバラ,古代ギリシアのピタゴラス教にまでさかのぼる。古代の秘密の知は道士たちの集団のなかで儀礼的に伝承されたが,近代オカルティズム運動にあっても,薔薇十字団やフリーメーソンのような,秘儀伝授のための結社や分派がおびただしく出現した。オカルティズムはまずルネサンス期に,キリスト教的中世のなかでは表面から隠されていたさまざまな古代の知を総合して再生せしめようとする精神運動のなかにあらわれた。…
…3冊の神秘的な詩集《渡り鳥》(1881),《黒い美神》(1883),《神秘の薔薇(ばら)》(1885)を発表して,オカルティズムの研究と再建に貢献する。はじめE.レビの弟子であったが,のちに独立し,薔薇十字団の革新のために尽くす。この方面の著作には,《神秘の門出に》(1886),《サタンの神殿》(1892)などがある。…
… いずれにせよ大多数の秘密結社は,危機の時代に古い地盤から根こそぎにされた故郷喪失者の層から発生してくる。薔薇十字団は三十年戦争の混乱のなかから出現し,テンプル騎士団は十字軍の退廃に再度秩序をもたらそうとする欲求から生まれた。マウマウ団は白人宣教師や白人植民者によって伝統的生活形態を破壊されたキクユ族の苦悩から,クー・クラックス・クランは南北戦争の敗者たるアメリカ南部から,それぞれ発生する。…
…エリザベス朝の高官トマスThomas F.の子として生まれ,オックスフォードのセント・ジョンズ・カレッジに学んだ後,当時最も恵まれた階層が享受しえたヨーロッパ大陸への遍歴旅行を6年にわたって行った。そのおりパラケルスス派の錬金術的医学を学ぶとともに,大陸でようやくきざしはじめた薔薇十字運動(薔薇十字団)に接し,I.ジョーンズ,T.カンピオンらと協力しつつ,以後それをイギリスの文化的伝統として確立することに一生を捧げた。17世紀の科学革命に際しては,汎知学の立場からその還元主義には反対しながらも,W.ハーベーの血液循環論をいち早く支持するなど推進役をも果たしている。…
…そもそもイギリスにおける石工は古くから教会や国王の特権的庇護の下にあり,さまざまの世俗的義務を免除されていた。この有力なギルドも中世の崩壊とともに大教会建築の機会が激減したため本来の職業的石工ギルドが解体にしているところへ,大陸渡来の薔薇(ばら)十字団のような秘密結社が再生の理念を接木したのが,18世紀初頭におけるフリーメーソン成立の主たる契機であったと考えられる。いずれにせよ“地上に神の家を造る”教会建築家の同職組合は,このころようやく,〈見えざる天上の家〉としての精神の建築物,すなわちフリーメーソンの構築へと脱皮を迫られていた。…
…とくにルネサンス時代にイタリアで《コルプス・ヘルメティクム》が翻訳刊行されて人々に大きな影響を与え,中でもコペルニクス,W.ギルバート,ケプラーなど近代科学の創始者たちに信奉されて近代科学成立の一つの契機となった。17世紀以後は公然化しなかったが,薔薇(ばら)十字団など秘密結社の中で受け継がれて技術者や芸術家の間に信奉者を見いだし,19世紀以降はロマン主義や象徴主義,シュルレアリスムなど主として文学,芸術において開花した。
[成立]
ヘルメス思想の伝統の内部では,その教義はヘルメス・トリスメギストスに始まる。…
※「原宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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