出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸では,すでに興行地化していた中橋南地(現在の日本橋通3丁目付近)や,葭(吉)原の遊里が歓楽地として栄えはじめた。1624年(寛永1)2月に,初世猿若(中村)勘三郎が中橋に歌舞伎常芝居猿若座(後の中村座)を創設した。常設の歌舞伎劇場のはじめである。…
…しかし,79年9月外人の一座を招いて劇中劇に《漂流奇談西洋劇(ひようりゆうきだんせいようかぶき)》という合同劇を上演させて失敗。このころから座主守田勘弥の負債がかさみはじめ,その後は座主名義を変更したり,座主が変わったりして,座名も猿若座,桐座,深野座,都座などと頻繁に変わっている。97年新富座に復名,1909年松竹合名社が買収,23年関東大震災で焼失するまで存続した。…
…櫓紋は,最初は舞鶴,のちに隅切角に銀杏となった。享保10年(1725)書き上げの《江戸三芝居由緒書》によれば,初世中村(猿若)勘三郎が1624年(寛永1)に中橋で猿若座の名で興行を始め,32年ごろには禰宜町で興行,51年(慶安4)に堺町に移転したと記すが,客観的裏付けはない。しかし51年には江戸城に参入した記録が残り,万治年間(1658‐61)には堺町で興行している。…
※「猿若座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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