猿賀村(読み)さるかむら

日本歴史地名大系 「猿賀村」の解説

猿賀村
さるかむら

[現在地名]尾上町猿賀

東ははら村に続き、田圃を隔てて北に田舎館いなかだて(現田舎館村)、西に八幡崎やはたさき村、南に中佐渡なかさと村がある。

天文年間(一五三二―五五)津軽郡中名字に「さるか近代猿賀ト書ク」とある。集落西南端にある猿賀館跡は、天正年間(一五七三―九二)浅瀬石大和の部将、木村越後の居館といわれる。「津軽歴代記類」によれば天正一四年正月大浦(津軽)為信が「猿賀村神宮寺へ御参詣被成て、猿賀、新屋、高木の三村を神宮寺へ預けられけり」とある。「サルカ」はアイヌ語の「サラクカムイ」(変化神の意味)に由来するという(大日本地名辞書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報