南津軽郡(読み)みなみつがるぐん

日本歴史地名大系 「南津軽郡」の解説

南津軽郡
みなみつがるぐん

面積:六九九・三七平方キロ
浪岡なみおか町・常盤ときわ村・藤崎ふじさき町・田舎館いなかだて村・尾上おのえ町・平賀ひらか町・大鰐おおわに町・碇ヶ関いかりがせき

津軽地方東南部に位置する。東は奥羽山脈中のくしヶ峯(一五一六・五メートル)など南八甲田みなみはつこうだ火山群と上北郡十和田湖町・青森市に接し、南は大鰐・碇ヶ関山地で秋田県鹿角かづの小坂こさか町・大館おおだて市・北秋田郡田代たしろ町、北は大釈迦だいしやか丘陵で五所川原市と北津軽郡板柳いたやなぎ町、西は弘前市に接して津軽平野の中心部を形成する。郡域中央部に黒石市がある。櫛ヶ峯に源流をもつ浅瀬石あせいし川は多くの河岸段丘をつくって八甲田西部山麓を流れ、黒石市山形やまがた地区を貫流し、広大な沖積扇状地を津軽平野に形成して尾上町田舎館村・常盤村の穀倉地帯をつくる。浅瀬石川から分水する用水路は、小阿弥こあみ堰・横沢よこさわ堰・猿賀さるか堰・枝川えだがわ三堰・宇和うわ堰など一二本を数え、七千ヘクタールを灌漑する。秋田県鹿角郡境に源流をもつひら川は阿闍羅あじやら山の東部山麓を北流し、虹貝にじかい川・三ッ目内みっめない川を大鰐町北端で合流して津軽平野に出、弘前市との郡境をつくる。平川から六羽ろつぱ川・庄司しようじ川が分水して平賀地区八〇〇ヘクタールの用水となる。六羽川にはさらに尾崎おさき山から出る引座ひきざ川や合灌がつか川が合流する。大釈迦丘陵から流れ出し、本郷ほんごう川・正平津しようへいづ川・浪岡川を集めた川は北津軽郡と五所川原市を貫いて岩木川へ入る。浅瀬石川は藤崎町舟場ふなばで平川と合流し、平川はこの二キロ下流の同町白子しろこで岩木川と合流する。

郡名は明治一一年(一八七八)郡区町村編制法により、それまでの津軽郡を東・西・南・北・中津軽郡の五郡に分けた時から始まる。

〔原始・古代〕

遺跡は浪岡町に約五〇ヵ所、平賀町に約一五〇ヵ所、大鰐町に約三〇ヵ所など全町村に存在するが、旧石器時代の遺跡は未発見である。縄文早期の遺跡は平賀町沖館おきだて鳥海山ちようかいさん遺跡や同町尾崎の新屋木戸口あらやきどぐち遺跡で貝殻文土器が出土する。縄文前期の遺跡は同町新屋あらや遠手沢とつてさわ遺跡が代表。縄文中期の同町唐竹からだけ堀合ほりあい遺跡は編年序列が層位ごとに把握される。縄文後期遺跡はその前半は山間に、後半は平野部ないし縁辺部に移行してくる。この前半期の遺跡の特異なものが墓地遺跡で、堀合遺跡群と同町広船ひろふね小金森こがねもり遺跡群はその代表で、土壙墓や甕棺、組石石棺が発見された。縄文晩期を代表するのは平川扇状地に位置する同町石郷いしごう遺跡で、膨大な遺物が層的に含まれる。弥生時代の遺跡として有名な田舎館村の田舎館遺跡垂柳たれやなぎ遺跡は浅瀬石川による肥沃な沖積地の灌漑に恵まれた場所にある。両遺跡の西南に隣接する尾上町八幡崎やわたざき遺跡は縄文晩期で、この台地からは紀元前八四六年と測定された土器が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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