…筑紫楽といった場合は,善導寺に行われていた雅楽をいう。賢順以降,玄恕(げんじよ)(1606‐49,1662年死亡説もある),法水(生没年不詳)などの僧に継承され,江戸に下った法水から八橋検校に伝えられたものは,盲人伝承の箏曲として改革されたが,玄恕以降,北九州で伝承されたものは,八橋改革以前の古態を遺存して,主に佐賀藩士や同地の儒者,神官,医師などのあいだで愛好された。しかし,厭誉(?‐1758)のころには,賢順・玄恕の時代のものとはかなりの異同を生じた。…
※「玄恕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」