朝日日本歴史人物事典 「良純入道親王」の解説
良純入道親王
生年:慶長8.12.17(1604.1.18)
江戸初期の皇族。後陽成天皇の第8皇子,母は大典侍具子(庭田重具の娘)。八宮と称す。慶長19(1614)年12月16日親王宣下し,真輔と名乗る。元和1(1615)年6月徳川家康の猶子に。同5年9月17日得度し,知恩院の初代門跡となった。和歌に優れ,名筆家として知られたが,その一方大酒や遊廓通いなどの放蕩癖があり,寛永20(1643)年11月11日江戸幕府の手により甲斐国天目山に流された。その流罪については,当時広く喧伝され多くの随筆に残されている。万治2(1659)年4月28日許され,6月27日帰京し 泉涌寺へ入った。<参考文献>曲亭馬琴「羇旅漫録」(『日本随筆大成』第1期10)
(藤田恒春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報