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良純入道親王 りょうじゅんにゅうどうしんのう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

良純入道親王 りょうじゅんにゅうどうしんのう

1604*-1669 江戸時代前期,後陽成(ごようぜい)天皇の第8皇子。
慶長8年12月17日生まれ。母は庭田具子(ともこ)。慶長19年親王となり,直輔(ただすけ)と名のる。20年徳川家康の猶子となり,元和(げんな)5年出家して浄土宗知恩院の初代門跡(もんぜき)。寛永20年不行跡により甲斐(かい)天目山に流されたが,万治(まんじ)2年ゆるされて京都泉涌(せんにゅう)寺にはいる。寛文9年8月1日死去。67歳。幼称は八宮。

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朝日日本歴史人物事典の解説

良純入道親王

没年:寛文9.8.1(1669.8.27)
生年:慶長8.12.17(1604.1.18)
江戸初期の皇族。後陽成天皇の第8皇子,母は大典侍具子(庭田重具の娘)。八宮と称す。慶長19(1614)年12月16日親王宣下し,真輔と名乗る。元和1(1615)年6月徳川家康の猶子に。同5年9月17日得度し,知恩院の初代門跡となった。和歌に優れ,名筆家として知られたが,その一方大酒や遊廓通いなどの放蕩癖があり,寛永20(1643)年11月11日江戸幕府の手により甲斐国天目山に流された。その流罪については,当時広く喧伝され多くの随筆に残されている。万治2(1659)年4月28日許され,6月27日帰京し 泉涌寺へ入った。<参考文献>曲亭馬琴「羇旅漫録」(『日本随筆大成』第1期10)

(藤田恒春)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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