日本歴史地名大系 「玉井頓宮跡」の解説 玉井頓宮跡たまのいのかりみやあと 京都府:綴喜郡井手町石垣村玉井頓宮跡玉(たま)川の南、石垣(いしがき)の字宮(みや)ノ本(もと)にある六角井(ろつかくい)の辺りにあったと伝える仮宮。六角井とは六角形の石の井桁のある井戸で、昭和二八年(一九五三)の大水害以前は水が豊富で、村の共同井戸として使用されていた。「続日本紀」天平一二年(七四〇)一二月一四日条に「従禾津発到山背国相楽郡玉井頓宮」とみえる。聖武天皇は広嗣の乱のあと、同年一〇月末より伊賀・伊勢・美濃・近江などの諸国を巡歴し、その途次各地の頓宮に宿泊、同年一二月一四日に近江国志賀郡禾津(あわづ)頓宮(跡地は現大津市)を出発してその日に玉井頓宮に到着し、一泊して翌一五日に恭仁(くに)宮(跡地は現相楽郡加茂町)に入っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by