井手町(読み)イデチョウ

日本歴史地名大系 「井手町」の解説

井手町
いでちよう

東山区大和大路通西裏団栗上ル

建仁寺町通(けんにんじまちどおり)西裏に位置。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は「又其(団栗辻子)東に北へ上ル所 井手町 此町行ぬけなし」とするが、現在は東へ折れて建仁寺町通(大和大路)大和町に抜ける小路が通る。天保二年(一八三一)刊「京都巡覧記」は当町を団栗辻子(どんぐりのずし)の項に入れており、「月堂見聞集」の記事にも同様の表記があって、一般には同辻子の一町と理解されていたふしがある。

開町の時期は定かでないが、「坊目誌」は「寛文八年の開通ならん」とする。


井手町
いでちよう

面積:一七・八五平方キロ

綴喜郡の中央部に位置する農山村。町の南を玉(たま)川が西流して木津(きづ)川に注ぐ。北部は城陽市、東部は宇治田原(うじたわら)町・相楽郡和束(わづか)町、南部は相楽郡山城(やましろ)町、西部は木津川を境に田辺(たなべ)町に接する。

東高西低の地形で、東部は町の総面積の七割を占める山林で、集落は木津川東岸の低平地に多く集結している。ことに町の西南部の山麓に上井手、玉川下流の扇状地に水無(みずなし)・玉水(たまみず)・石垣(いしがき)、西北部の青谷(あおだに)川と南谷(みなみたに)川に挟まれたなだらかな丘陵台地に多賀(たか)の集落がある。そのほかわずかながら町の東南部の山深い奥地に田村新田(たむらしんでん)の集落があり、また東北部に今は廃村となった奥山新田(おくやましんでん)(多賀新田)の村跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井手町」の意味・わかりやすい解説

井手〔町〕
いで

京都府南部,木津川東岸の町。 1927年町制。 58年多賀村を編入。木津川の沖積平野とその東の台地,山地から成る。農業を主とし,米作や野菜・果樹栽培にも力を入れている。京都,大阪,奈良の市街地に近いため宅地開発も著しい。町を貫流して木津川に注ぐ井手の玉川は,古来和歌に詠まれているヤマブキの名所で,日本六玉川の1つ。 JR奈良線,国道 24号線 (奈良街道) が通る。面積 18.04km2。人口 7406(2020)。

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