朝日日本歴史人物事典 「玉川庄右衛門」の解説
玉川庄右衛門
生年:生年不詳
江戸前期,玉川上水開削請負人,江戸町人と伝えられる。承応2(1653)年幕府の命により弟清右衛門と上水開削の請負人となり,その年に着工,多摩川の水を羽村に堰を設けて分水し,四谷大木戸(新宿区内藤町)まで43kmの上水路を開削,翌3年通水した。「公儀日記」によれば承応2年,幕府は江戸麹町芝口の町人2名の出願により玉川上水の開削を命じ請負金7500両を下付(榎本弥左衛門『万之覚』では6500両),老中松平信綱の指揮のもとに関東郡代伊奈半左衛門忠治が工事の奉行となったという。完成後,出願の町人に金300両が賞賜されている。庄右衛門,清右衛門は工事遂行のために苦闘し下付金では不足したため居屋敷を売却し資金とし,また川越藩家臣安松金右衛門らの設計援助により竣工にこぎつけたという。兄弟はこの功により玉川の姓を賜り,子孫は代々襲名し上水役を世襲することとなったが,3代のとき不届きのことありとして江戸払いになった。玉川上水は開削後江戸市民の飲料水となり,また武蔵野台地の村々に分水して,その生活用水ともなった。<参考文献>『東京市史稿 上水篇』1巻,『新座市史』
(大舘右喜)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報