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玉川庄右衛門 たまがわ しょうえもん

江戸・東京人物辞典の解説

玉川庄右衛門

??〜1695(??年〜元禄8年)【玉川上水の開削請負人】玉川上水を開き、江戸の飲料水を供給。 玉川上水の開削請負人。1653年、幕府の命により弟清右衛門とともに上水開削の請負人となった。平坦な武蔵野台地のわずかな勾配を利用、多摩川の水を羽村から引き入れて、四谷大木戸までの42.7Kmに及ぶ露天掘りの玉川上水を竣工させた。この功により玉川姓を賜わり、玉川上水役を任じられたが、3代のとき不届きがあり江戸払いとなった。

出典 財団法人まちみらい千代田江戸・東京人物辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

玉川庄右衛門 たまがわ-しょうえもん

?-1695 江戸時代前期の玉川上水工事請負人。
江戸の人。幕命により,弟清右衛門とともに承応(じょうおう)3年武蔵(むさし)羽村より江戸の四谷大木戸にいたる上水路を完成させた。この功で200石の扶持(ふち)をあたえられ,上水役に任じられ,玉川姓をゆるされた。元禄(げんろく)8年6月6日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

玉川庄右衛門

没年:元禄8.6.6(1695.7.16)
生年:生年不詳
江戸前期,玉川上水開削請負人,江戸町人と伝えられる。承応2(1653)年幕府の命により弟清右衛門と上水開削の請負人となり,その年に着工,多摩川の水を羽村に堰を設けて分水し,四谷大木戸(新宿区内藤町)まで43kmの上水路を開削,翌3年通水した。「公儀日記」によれば承応2年,幕府は江戸麹町芝口の町人2名の出願により玉川上水の開削を命じ請負金7500両を下付(榎本弥左衛門『万之覚』では6500両),老中松平信綱の指揮のもとに関東郡代伊奈半左衛門忠治が工事の奉行となったという。完成後,出願の町人に金300両が賞賜されている。庄右衛門,清右衛門は工事遂行のために苦闘し下付金では不足したため居屋敷を売却し資金とし,また川越藩家臣安松金右衛門らの設計援助により竣工にこぎつけたという。兄弟はこの功により玉川の姓を賜り,子孫は代々襲名し上水役を世襲することとなったが,3代のとき不届きのことありとして江戸払いになった。玉川上水は開削後江戸市民の飲料水となり,また武蔵野台地の村々に分水して,その生活用水ともなった。<参考文献>『東京市史稿 上水篇』1巻,『新座市史』

(大舘右喜)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の玉川庄右衛門の言及

【玉川上水】より

…開削は羽村から四谷大木戸までが1653年(承応2)で,四谷大木戸から江戸城虎の門前までは翌年であった。玉川上水は玉川庄右衛門,清右衛門の2名が請け負って開かれたとされているが,一説にはこの両名が工事に失敗し,そのあと,川越藩松平信綱の家臣安松金右衛門によって完成されたともいわれている。庄右衛門,清右衛門は玉川上水完成後,玉川の姓を与えられ,その経営を請け負った。…

※「玉川庄右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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