円空(読み)えんくう

百科事典マイペディアの解説

円空【えんくう】

江戸時代の遊行(ゆぎょう)僧。美濃の人。尾張(おわり)の高田(たかだ)寺で密法を受けたと伝え,のち東国から北海道まで遍歴して,各地で民衆を教化しながら仏像を造った。丸木の原材を割り,その割れ目を生かした荒削りの彫法は,当時の職業仏師の作品には見られない独特の精神性と芸術性をもっている。
→関連項目鉈彫橋本平八木食上人

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

円空 えんくう

1632-1695 江戸時代前期の僧。
寛永9年生まれ。近江(おうみ)園城寺の行場である大峰山などで修行。寛文4年ごろから仏像をつくりながら全国各地を遊行(ゆぎょう)。生涯に12万体の造像を祈願したといわれ,岐阜県,愛知県などを中心に円空仏とよばれるおおくの作品が発見されている。元禄(げんろく)のはじめ,故郷の美濃(みの)(岐阜県)に弥勒(みろく)寺を再興した。元禄8年7月15日死去。64歳。通称は窟上人,今釈迦。
【格言など】いくたびもたえても立る法(のり)の道九十六億すゑのよまでも(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

円空

没年:元禄8.7.15(1695.8.24)
生年:寛永9(1632)
江戸初期の僧,遊行して数多くの木彫仏を残す。美濃国竹ケ鼻(岐阜県羽島市)生まれ。伊吹山や園城寺行場である大峯山で修行をしたのち,遊行の僧として全国を行脚した。寛文4(1664)年ごろまで美濃地方で造像し,蝦夷地,東北,北陸地方に多くの仏像を残す。大胆にのみの痕を留めた特異な作風は「円空仏」と通称され,丸木の原材を割った縦の直線を生かした素朴で荒彫りの彫り方は,一般的な仏像と異なり迫力を感じさせる。その作風から木地師の出身だとされる。遊行しながら12万体を彫る大願を立てたと伝えられ,5000体余が発見されている。主に東日本に作品が残されているが,出身地に近いこともあり,岐阜,愛知両県には特に多い。竜泉寺(名古屋市守山区)の「馬頭観音像」,荒子観音寺(同市中川区)の「木端仏」などは,円空仏の特徴をよく伝える像である。また,円空は山岳に住みそこで残した仏像も多く,仏像で庶民を済度したことから,窟上人,今釈迦といわれた。

(中尾良信)

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世界大百科事典 第2版の解説

えんくう【円空】

1632‐95(寛永9‐元禄8)
江戸初期の遊行造像僧。美濃国(岐阜県羽島市上中町)の生れ。若くして出家,尾張国(愛知県)師勝村の高田寺で金剛・胎蔵両部の密法を受け,諸国遊行の旅にでる。1664年(寛文4)ころまで美濃地方にいて名古屋荒子観音寺などで造像,65年蝦夷(えぞ)地に渡る。74年(延宝2)には志摩半島,その後は美濃・飛驒地方に入り,袈裟山千光寺や山間僻地(へきち)に多くの仏像をのこす。89年(元禄2)には伊吹山,日光などに遊行,翌90年ふたたび美濃・飛驒地方にもどって晩年の円熟した彫像を刻む。

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大辞林 第三版の解説

えんくう【円空】

1632~1695) 江戸前期の僧侶。美濃の人。関東・東北・北海道を行脚し布教した。その間、一二万体の造像を願ったといわれ、鑿のみで荒く彫るだけという独特な彫法で多くの仏像を残した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

円空
えんくう

[生]寛永9(1632)頃.美濃,竹ヶ鼻
[没]元禄8(1695).7.15. 美濃
江戸時代初期の天台宗僧侶。美濃の農家に出生。 23歳で出家,尾張高田寺 (こうでんじ) で金剛,胎蔵両部の密法を受け,のち東日本各地を遍歴,生涯を布教,造像活動に捧げた。後西天皇より上人号と金襴の袈裟を下賜される。今行基 (いまぎょうき) とも呼ばれ,12万体の造像を発願し,岐阜,愛知,北海道,埼玉,長野,滋賀などに数千の作品が現存する。生木を鉈 (なた) でたち割り,背面は手を加えず,前部半面に仏像や神像などを鉈,のみ,小刀によって荒彫りしたもので,円空仏と称する。また流暢な筆致による独自の仏画の遺品もある。元禄2 (1689) 年長良川河畔に弥勒寺を再興,同所で入寂。主要作品は太平寺観音堂『十一面観音像』 (89) ,鉈薬師堂および音楽寺の『十二神将像』,観音寺『観音菩薩像』,神明神社『自刻像』。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

円空
えんくう
(1632―1695)

江戸初期の僧侶(そうりょ)。美濃(みの)国竹ヶ鼻(岐阜県羽島市上中島町)に生まれる。若くして仏門に入り、天台僧として修験道(しゅげんどう)を学んだともいうが、一宗一派にとらわれぬ自由な信仰の持ち主であったらしい。つねに諸国遍歴の旅を続け、その足跡は、北は北海道から、西は四国、中国にもわたっており、ほとんど日本全土に及んだかと思われる。1695年(元禄8)故郷美濃へ帰り、自ら中興した弥勒寺(みろくじ)で同年7月15日、64歳で没した。
 彼をとくに有名にしたのはその造像で、一生に12万体造像を発願したが、現在までに二千数百体が発見されている。大は名古屋荒子観音寺の3.5メートル余の仁王像、小は2、3センチメートルの木端(こっぱ)仏まで種々に及び、像種もさまざまである。丸木を四分、八分した楔(くさび)形の、荒く鑿(のみ)を入れただけの材からつくりあげることが多く、原材における制約をそのままに利用し、また鑿の痕(あと)をそのままに残すというように、大胆直截(ちょくせつ)な輪郭や線条で構成された彫像をつくりあげた。一見稚拙なようだが、当時のまったく形式化した作風の職業仏師たちの作に比し、熱烈な信仰の所産だけに、新鮮な魅力を備えており、激しく心を打つものがあって、現代にも通ずる素朴な美と力強さが認められる。[佐藤昭夫]
『後藤英夫写真、飯沢匡文『円空――江戸のキュービスト』(1980・小学館)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

えんくう ヱンクウ【円空】

江戸前期の臨済宗の僧。美濃の人。一二万体の造仏を発願し諸国を遍歴し、鉈(なた)彫りによる素朴な仏像を各地に残す。窟(くつ)上人。寛永九~元祿八年(一六三二‐九五

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世界大百科事典内の円空の言及

【江戸時代美術】より

…江戸の松雲元慶による五百羅漢寺のための造像(1695ころ)には,この新様式と伝統様式とのすぐれた融合が見られる。美濃の遊行僧円空が,地方民衆の素朴な信仰に支えられて各地に残したおびただしい木彫像は,古代以来の鉈(なた)彫りの伝統を蘇生させたものであるが,ここにも黄檗彫刻の影響が認められる。また寛文から元禄ころ(1661‐1704)にかけて,黄檗宗の高僧の頂相(ちんそう)絵画がさかんにつくられた。…

【鉈彫】より

…おもな遺品に岩手県天台寺聖観音像,神奈川県宝城坊薬師三尊像,同弘明寺十一面観音像などがある。なお近世の円空の彫刻を鉈彫と呼ぶこともある。【副島 弘道】。…

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