玉巻城跡(読み)たまきじようあと

日本歴史地名大系 「玉巻城跡」の解説

玉巻城跡
たまきじようあと

[現在地名]山南町玉巻

石戸いしど川の西岸、通称八幡はちまん山にある丹波の有力武士久下氏の城。久下氏の先祖は武蔵国大里おおさと久下くげ(現埼玉県熊谷市)出身の開発領主であった。その後、中務丞直高が栗作くりつくり郷地頭職を宛行われ、久下周辺に土着したとい(永正九年五月二六日「久下政光遺言状案文」久下信生家文書)。建武四年(一三三七)久下時重は足利尊氏から丹波国新屋にや(現柏原町)一条侍従木村跡などの所領を認められている(三月一〇日「足利尊氏袖判下文案」同文書)。観応元年(一三五〇)一二月頃には久下頼直が守護代として活躍したこともあった(「祇園社家日記」同年一二月一七日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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