玉巻村(読み)たまきむら

日本歴史地名大系 「玉巻村」の解説

玉巻村
たまきむら

[現在地名]山南町玉巻

東は池谷いけだに村、北は同村の出戸奥野々おくののと境を接し、奥野々の北方にある玉巻坂を越えると下小倉しもおぐら(現柏原町)。坂の手前を西に折れ石戸いしど川をさかのぼると大新屋おおにや(現柏原町)。東西を山で挟まれた狭い谷間の地域で、おもに東向きの斜面集落が形成されている。応永一五年(一四〇八)四月七日栗作くりつくり郷玉巻村の久下久元が紀伊熊野本宮に願文を捧げており(熊野本宮大社文書)、当村に久下氏の一族が居住していたことが知られる。大永四年(一五二四)一〇月二九日田中貞直が玉巻殿に現米預り状(久下信生家文書)を出しており、当地の久下氏は玉巻を称していた。久下重像が弘治三年(一五五七)八月五日に記した久下氏由緒書(同文書)によれば、南北朝内乱で足利尊氏が丹波に二度逃れた際、逗留したのはいずれも玉巻であったと記すなど、久下氏の嫡流は金屋かなや太田おおだではなく、玉巻であると主張している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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