玉置町・新道(読み)たまきちよう・しんみち

日本歴史地名大系 「玉置町・新道」の解説

玉置町・新道
たまきちよう・しんみち

[現在地名]津市丸之内養正まるのうちようせい町・中央ちゆうおう

北堀端きたほりばたより小路を北に入り、北堀端に並行する武家屋敷町。玉置覚之助(福井之助、一千石)が開いたとも、玉置とともに熊野(現和歌山県)家臣になった者たちが居住したとも伝えるが不明。羽柴秀長(秀吉の弟)代官として藤堂高虎が、天正一七年(一五八九)熊野で北山一揆を鎮圧した時、玉置らは家臣に加わった。洞津遺聞(樋田清砂氏蔵)に「玉置一統は熊野武士也、追々召さる中にも、福井介へは高山様御内命ありとて、本国熊野旧縁の氏族へ親しみを厚くする事、いまとても其家格を守るとなり、元祖福井介は武名高く大坂陣の節は、采女殿手に属し戦功ありしとぞ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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