瓦宮村
かわらのみやむら
[現在地名]尼崎市瓦宮一―二丁目・食満六―七丁目・東園田町四丁目・同九丁目・口田中一丁目
下食満村の南、藻川の西岸に位置し川東に飛地をもつ。同村から大坂道が南下する。上川原・下川原・大船の字名があった。古代氏族川原氏の居住地であったかと推定されている(尼崎市史)。慶長国絵図に川原宮村とみえ高二二五石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳に瓦宮村とあり、幕府領(尼崎藩建部政長預地)。以降の領主の変遷は法界寺村に同じ。延宝七年(一六七九)以前より切畑村(現宝塚市)領長尾山の山子であったが、村方難渋を理由に山手銀を納めなかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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