瓦林(読み)かわらばやし

日本歴史地名大系 「瓦林」の解説

瓦林
かわらばやし

武庫むこ川下流右岸の地域で、武庫西条四条一三里付近の称。近世に瓦林・上瓦林・下瓦林三ヵ村が成立。川原林・河原林などとも書く。正中三年(一三二六)正月二六日の玉熊女田地譲状・同田地売券(大徳寺文書)によれば、玉熊女が武庫西条四条一三里二五坪内の字石塔にある私領一反(伴寺本所当九升七合)を五貫五〇〇文で瓦林の千夜叉御前に売却している。山陽道・中国街道に近いため南北朝以来たびたび戦場となり、地内に瓦林城があった。康安二年(一三六二)八月一七日には楠木・和田以下の南朝軍が「河原林」などに軍を差向けて守護代箕浦勢を切崩し、河原林弾正左衛門は討死している(「太平記」巻三八、和田楠与箕浦次郎左衛門軍事)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報