日本歴史地名大系 「甚目寺庄」の解説
甚目寺庄
じもくじのしよう
旧
元応二年(一三二〇)幕府は惟宗氏女代成宝と葉室光継雑掌行円の訴訟に対し、吉祥女(光継姉妹)相伝を認めた(「関東事書案」勧修寺文書)。一方勧修寺側では、長吏成宝が養父の叔父勧修寺雅宝(葉室流)に譲与する際の嘉禄三年(一二二七)の置文に「面々志定譲与之所々、皆是勧修寺沙汰之間、相計之処也、然者此人々若他行移住事出来者 及彼等進退、為長吏之下知可致沙汰」とあるとして、嘉暦二年(一三二七)申立を行い領掌を認められた(「尾張国甚目寺相伝由来記」「山門東塔北谷住侶源淳申状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報