生出塚埴輪窯跡群・生出塚古墳群(読み)おいねづかはにわようせきぐん・おいねづかこふんぐん

日本歴史地名大系 の解説

生出塚埴輪窯跡群・生出塚古墳群
おいねづかはにわようせきぐん・おいねづかこふんぐん

[現在地名]鴻巣市東三―四丁目・天神五丁目

大宮台地東側の緩斜面にあり、二つの舌状台地が元荒川の沖積地に向かって延び、北・南支台を形成する。標高は最高部で約一九メートル、沖積面との比高は約五メートル。両支台に挟まれた浅い支谷の入口には近年まで湧水地があり、粘土や水の得やすい地点であった。昭和五四年(一九七九)以来三〇回以上にわたる発掘調査で、埴輪窯跡三八、埴輪工房跡一、住居跡九、古墳跡一六が発見されている。

埴輪窯跡は、支谷の斜面部を中心に北支台と南支台の二地点に分布する。窯跡の平均規模は全長約九メートル、焼成部の長さ約四メートル、幅一・六メートルで、灰原部はローム面を二・五メートルほど掘下げて構築されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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