生夷谷(読み)いくいなだに

日本歴史地名大系 「生夷谷」の解説

生夷谷
いくいなだに

生夷庄の庄名を継承する近世の広域通称名。天正一三年(一五八五)福良連経の嫡子の所領である「生夷谷勝浦山」などが田織部佐によって蜂須賀氏に引渡されたという(阿淡年表秘録)。慶長二年(一五九七)の分限帳では小僧分として「勝浦いくいな」の飯種のうち三三石余と記される。慶長年間のものと推定される国絵図に「いくいな」とみえる。また寛文元年(一六六一)には生夷てら谷の山林・炭竈・厨ともに尾関源左衛門に与えられている(阿淡年表秘録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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