生浜浦(読み)いくのはまうら

日本歴史地名大系 「生浜浦」の解説

生浜浦
いくのはまうら

[現在地名]丸亀市本島町生ほんじまちよういくはま

本島の南西部に位置し、北は尻浜しりはま浦、西は海を挟んでひろ島。山西やまにし四浦の一で、島中船方領の一浦。宝永年間(一七〇四―一一)の集落規模は長さ九七間・幅三五間(塩飽島諸事覚)。天正一八年(一五九〇)の当浦斗代による算定検地高は四七石余、うち田三石余・畑四三石余、慶長一一年(一六〇六)の検地高五二石余(同年田畑打出し所次第「島中集旧記書」塩飽勤番所顕彰保存会蔵)。宝永元年の島中納方配分之覚(前掲諸事覚)によれば高四八石余、うち年寄宮本伝右衛門分引二三石余、庄屋給分引二石、古加子二三人分引二三石。ほかに笠島かさしまからの新加子分一〇石。山手銀・塩浜年貢は二七匁と四一匁(同諸事覚)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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