生玉寺町(読み)いくたまてらまち

日本歴史地名大系 「生玉寺町」の解説

生玉寺町
いくたまてらまち

[現在地名]天王寺区生玉寺町・生玉いくたま

西寺にしてら町の東、生国魂いくくにたま神社の南に延びる町で、浄土宗一二寺・禅宗一寺で構成される。「蓮門精舎旧詞」によると、天正一九年(一五九一)銀山ぎんざん寺が開基。文禄二年(一五九三)西方さいほう寺、同五年に大安だいあん寺・光善こうぜん寺が開基し、生国魂神社から南へ延びる道路の両側に寺町街区が成立した。慶長五年(一六〇〇)には浄運じよううん寺、同六年宝泉ほうせん寺、同七年増福ぞうふく寺、同一一年長円ちようえん寺、同一七年大善だいぜん寺、同一八年九応きゆうおう寺、慶長年中に宝国ほうこく寺が開基して街区が完成した。大宝だいほう寺は元和初年まで三津寺みつてら(現南区)にあり、元和五年頃、現在地へ移転した(御津宮文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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