人形浄瑠璃。世話物。3巻。近松門左衛門作。1722年(享保7)4月22日大坂竹本座初演。この年の4月6日大坂生玉馬場先の大仏勧進所で,山城上田村の農民平右衛門の妹で大坂油掛町の八百屋川崎屋源兵衛の養女となっていた千代が夫の半兵衛とともに情死した事件を仕組んでいる。24歳の千代の腹には4ヵ月になる子がいた。おなじ事件を豊竹座の紀海音も《心中二ツ腹帯》として,近松作に先立って上演していた。大坂新靫の八百屋半兵衛は,以前は武士であったが,事情があって町人の養子となった男であった。父の墓参のため故郷浜松へ帰参したおり,城主浅山殿の鷹狩りの昼食の料理や弟小七郎の衆道のもつれなどにみごとな判断力と武士の性根をみせる。その帰途,妻の実家上田村に立ち寄った半兵衛は,自分の留守中に姑に離縁されてもどっていた女房千世(代)を,千世の父島田平右衛門に誓って大坂へ連れ戻す。しかし,姑は,舅や半兵衛の説得にも千世を家へ入れることを承知しないので,千世の父との約束の板ばさみとなった半兵衛は,4月5日の宵庚申の夜に家を忍び出,生玉の馬場先の勧進所で,千世の胎内の子の供養をしたのちに情死をとげた。すぐ歌舞伎でも上演され,海音作と合わせて,《世話料理八百屋献立》(1788)などの書替狂言を生んだ。なお,初世中村鴈治郎は原作に近い脚本で上演し,その演出が今日に伝わっている。
執筆者:諏訪 春雄
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。3段。近松門左衛門作。1722年(享保7)4月、大坂・竹本座初演。同年4月6日の宵庚申の夜、大坂生玉馬場先(いくたまばばさき)の大仏勧進所での、油掛町の八百屋(やおや)半兵衛と妻千代の夫婦心中を脚色、22日から上演したもの。大坂新靭(しんうつぼ)町の八百屋半兵衛は女房お千代(世)と夫婦養子だったが、お千代は姑(しゅうとめ)に嫌われ、半兵衛が浜松へ帰省した留守中に離縁され上田村の実家へ帰る。帰路、そこへ立ち寄った半兵衛は、病父の平右衛門(へいえもん)や姉おかるに命を賭(か)けてお千代を守ることを誓い、大坂へ連れ帰る。しかし、姑はあくまでもお千代を家へ入れることを承知しないので、養家と妻の実家の板挟みになった半兵衛は、宵庚申の夜にお千代と家を忍び出て、生玉の勧進所で心中を遂げる。近松世話浄瑠璃中の最後の作。同題材は紀海音(きのかいおん)も近松に先だち『心中二つ腹帯』の題で脚色、豊竹(とよたけ)座で上演しているが、夫婦愛と義理人情のせつなさを強く描いた点に近松の特色がある。江戸時代の歌舞伎(かぶき)では、養母を半兵衛に横恋慕する婆に改作した台本が演じられたが、明治後期以後、初世中村鴈治郎(がんじろう)の原作本位の上演が例になった。
[松井俊諭]
『鳥越文蔵校注・訳『日本古典文学全集44 近松門左衛門集2』(1975・小学館)』
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