朝日日本歴史人物事典 「生西」の解説
生西
鎌倉後期の悪党。性誓とも号す。兵衛次郎入道生西は,近衛家領丹波国宮田荘(兵庫県西紀町)の前公文であったが,正安3(1301)年ごろより,荘内富裕百姓らの住宅に打ち入り略奪放火,城郭を構え,年貢を奪取,荘園政所の焼打ちなどの悪党行為を繰り返した。宮田荘悪党は生西の父子,兄弟らおよび近隣の住人たちより構成され,三百余人という勢力を有した。六波羅探題は丹波国の地頭御家人を動員して追討にあたったが成果は上げられず,元亨3(1323)年にも生西は,自国や他国の名誉の悪党人を率いて活動を続けている。<参考文献>田中稔『鎌倉幕府御家人制度の研究』
(水野章二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報