用之江村
もちのえむら
[現在地名]笠岡市用之江・城見台
茂平村の北にあり、西は備後国大門村(現広島県福山市)など。南西端、標高一一四メートルの丘陵地、字城山に森山城跡がある。城主は小見山左衛門とも大
の大橋山城主高田氏とも伝えられ、南方約一キロには馬場の地名も残る。元和五年(一六一九)から元禄一一年(一六九八)まで備後福山藩領、その後は幕府領となり幕末に至ったと思われる。寛永備中国絵図では高三二三石余。正保郷帳では草山少と注記され、枝村として野宮村・横常村・白塚村がみえ、白塚は地字として残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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