デジタル大辞泉 「江村」の意味・読み・例文・類語 こう‐そん〔カウ‐〕【江村】 川や入り江のほとりの村。「―八月碧鱸へきろまさに肥えたり」〈蘆花・自然と人生〉 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「江村」の意味・読み・例文・類語 こう‐そんカウ‥【江村】 〘 名詞 〙 川や入り江などに沿った村。水のほとりの村。[初出の実例]「晩到二江村一高枕臥、夢中遙聴半夜鐘」(出典:文華秀麗集(818)下・山寺鐘〈嵯峨天皇〉)「江村の漁火、愁ひに対して、人びと眠れば、よき隙ぞと」(出典:謡曲・道成寺(1516頃))[その他の文献]〔謝朓‐高斎視事詩〕 えむら【江村】 姓氏の一つ。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「江村」の解説 江村えつなぎむら 岩手県:下閉伊郡川井村江村[現在地名]川井村江繋小国(おぐに)川の下流、箱石(はこいし)村・鈴久名(すずくな)村・平津戸(ひらつと)村などの南に位置する。薬師(やくし)川が村のほぼ中央を東流、江繋集落で北流する小国川に合流する。江繋集落から薬師川をさかのぼる道は檜材伐出しの林道であるとともに霊峰早池峰(はやちね)山の登山道の一つで、小田(おだ)越の峠を越えて内川目(うちかわめ)村(現稗貫郡大迫町)に通じる。戦国期から江戸時代にかけて江繋氏の知行地で、小国・薬師両川の合流点付近に館跡がある。館主は一戸氏系江繋氏の祖彦四郎正朝といわれ、向田(むかいだ)集落には現在も正朝の墓碑が残る。 江村えむら 三重県:度会郡二見町江村[現在地名]二見町江五十鈴川分流の河口左岸にある。「建久三年皇太神宮年中行事」六月一五日条に「自鏡宮前船ニ乗、二艘屋形ヲ、(中略)件船以下江二見沙汰、船漕自江三人、自二見一人、自通一人参」とあり、神事における当地の役割がうかがえる。正平七年(一三五二)一〇月二九日北畠顕能は「二見郷南北同江村等」を伊勢神宮の「朝夕御膳料所」とし軍勢の狼藉を禁じている(徴古文府)。慶長一八年(一六一三)の二見江村検地帳が残る(江会所蔵)。 江村えむら 三重県:四日市市中部地区江村[現在地名]四日市市江村町竹谷(たけたに)川と三滝(みたき)川の中間平坦地にあり、西は黒田(くろだ)村、東南は平尾(ひらお)村。江戸時代は津藩領。寛延(一七四八―五一)頃の「宗国史」によれば戸数四九、人数一八九、牛四。神祠は牛頭(ごず)天王、寺院は蓮行(れんぎよう)寺(真宗大谷派)。文政一二年(一八二九)の三重郡絵図(鈴鹿市立図書館蔵服部家文書)では、村の西方に社地、黒田村の南三滝川北岸と、その対岸および村の南に「江村池」が記されている。天保四年(一八三三)の村高二一二・一石、免二ツ七分五厘、取米五五・二石余、定納額は一四五俵余。小物成は二六俵八斗余(「御物成并小物成御通写帳」同文書)。同一三年の寅暮借入貸附目録帳(同文書)によると、前年末における当村の借金は一〇五両余。 江村えむら 茨城県:下妻市江村[現在地名]下妻市江台地上にあり、南は黒駒(くろこま)村、西は平方(ひらかた)村。室町中期以降は多賀谷氏が支配したが、慶長七年(一六〇二)に天領となり、下総大輪藩領を経て(寛文朱印留)、天領・旗本領となる。元禄郷帳の村高は一千三〇五石余で、幕末は天領三四八石余、旗本須田・大久保両氏領各二一三石余、新庄氏領二一二石余、井出藤馬領一八六石余、井出鎌次郎領二七石余、三宅氏領七九石余、神明社領一五石、観住(かんじゆう)院除地五石、福寿(ふくじゆ)院除地四石余、安楽(あんらく)院除地四石余(各村旧高簿)。 江村えつじむら 福岡県:糟屋郡粕屋町江村[現在地名]粕屋町江辻大隈(おおくま)村の西に位置し、北は蒲田(かまだ)村(現福岡市東区)。村の西部で南側を流れる多々良(たたら)川に北から久原(くばら)川と猪野(いの)川が合流する。小早川時代の指出前之帳では江辻村の田一一一町八反余(分米一千一四六石余)・畠二五町六反余(分大豆八九石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高一千八八五石余(慶長石高帳)。慶長末に黒田長政が家臣母里浄甫に命じて民居を移転させ、戸原(とばら)村を分村した(続風土記)。 江村えむら 高知県:南国市江村[現在地名]南国市岡豊(おこう)町江村香長(かちよう)平野の北部にあり、東および南に隣接する吉田(よしだ)村とともに同一区域として扱われることが多かった。「和名抄」記載の江村郷は当地を中心とした地に比定される。天正一六年(一五八八)の江村郷地検帳には、小村として下崎村・小籠村・吉田村・江村・常通寺島村・常通寺村・中島村・富崎村・中ノ川原村・蒲原村・滝本村・定林寺村・千頭村・小野村・蓮如寺村・大谷口ノ村・奥谷村・八幡村・平松村・清山寺村・西島村・イワシ川ノ村・東和田村・西和田村がみえる。この小村江村の検地面積は一〇町八反余、うち屋敷二町六反余・畠一町一反余で、ほかは田である。 江村えむら 愛知県:宝飯郡一宮町江村[現在地名]一宮町江島(えじま)豊川の左岸にある。寛永期(一六二四―四四)の三河国村々高附には当村は鵜飼島(うかいじま)村とともに八名(やな)郡の部に入っている。豊川の流れが度々変わっているので、村の所属が変わったかと思われる。「本茂村誌」は、初め江尻(えじり)村と称し、慶長(一五九六―一六一五)の頃に江村と改めたとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
普及版 字通 「江村」の読み・字形・画数・意味 【江村】こう(かう)そん 江畔の村。斉・謝〔高斎に事を視る〕詩 として、江村見(あら)はれ 離離(りり)(連なるさま)として、樹出づ字通「江」の項目を見る。 出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報 Sponserd by