20世紀日本人名事典 「田中長嶺」の解説 田中 長嶺タナカ ナガネ 明治・大正期の殖産業者 生年嘉永2年(1849年) 没年大正11(1922)年6月30日 出生地越後国三島郡才津村(新潟県長岡市) 別名幼名=重次郎 経歴越後国(新潟県)に生まれ、絵画を学ぶために上京したが農業に入る。傍ら、菌学を研究し、明治23年共著でわが国初の菌類学書である「日本菌類図説」を出版。また人工接種による椎茸栽培法や木炭改良法などを研究、28年田中式改良窯を考案した。他の著書に「香葷培養図説」「十余三産業絵詞」「炭焼手引草」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「田中長嶺」の解説 田中長嶺 没年:大正11.6.30(1922) 生年:嘉永2(1849) 明治大正時代の椎茸栽培,製炭事業の指導者。越後国三島郡才津村(長岡市)生まれ。幼名重次郎。絵画を学ぶべく江戸に出たが途中で帰農。農業のかたわら植物採集,写生,菌学を研究し,明治23(1890)年,わが国初の菌類学書『日本菌類図説』(共著)を,その後さらに人工接種による椎茸栽培法について研究,『香蕈培養図説』(1892)などを著した。また製炭法の改善を考究し,25年『十余三産業絵詞』を著した。28年には愛知県八名郡にて田中式改良窯を考案,これをもとに『炭焼手引草』(1898)を公刊,わが国製炭の技術的基礎の確立に貢献した。椎茸栽培および製炭技術改善のため全国各地を行脚,名古屋市東田で客死。<参考文献>中村克哉他『明治殖産業の民間先駆者田中長嶺の研究』,赤羽武他「『炭焼手引草』解題」(『明治農書全集』13巻) (赤羽武) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中長嶺」の解説 田中長嶺 たなか-ながね 1849-1922 明治-大正時代の殖産家。嘉永(かえい)2年生まれ。新潟県下の開墾事業のかたわら帝国大学で菌学をまなぶ。人工接種による椎茸(しいたけ)栽培法を開発,また木炭製造法の改良にもとりくみ,田中式改良窯を考案。各地でこれらの技術を指導した。大正11年6月30日死去。74歳。越後(えちご)(新潟県)出身。著作に「日本菌類図説」(共著),「炭焼手引草」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by