田代重栄(読み)たしろ・じゅうえい

朝日日本歴史人物事典 「田代重栄」の解説

田代重栄

没年貞享4(1687)
生年:元和2(1616)
江戸前期,久留米藩領筑後国生葉郡吉井町(福岡県浮羽郡吉井町)に住んだ田代組(吉井町,浮羽町)村々の大庄屋通称弥三左衛門。息子又左衛門重仍と図り,寛文4(1664)年の大石(浮羽町)―長野(吉井町)間水道完成によってもなお水利を得られなかった郡東部筑後川南岸の荒れ地灌漑を藩に願い出,延宝4(1676)年,現在の夜明ダムのやや上流の,筑後川南岸獺の瀬より水を引き,地蔵岩に至る隧道を含む約2kmの水道(袋野水道)を通すことに成功した。これにより,170町歩(約170ha)余が潤った。地元ではこの偉業を称えて大正5(1916)年,重栄社(浮羽町)を作り祀っている。<参考文献>『久留米市史』2巻

(井奥成彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田代重栄」の解説

田代重栄 たしろ-じゅうえい

1616-1687 江戸時代前期の治水家。
元和(げんな)2年生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)生葉郡(いくはぐん)吉井村の大庄屋。郡東部の荒れ地に筑後川の水をひく用水路開削を計画し,寛文12年久留米(くるめ)藩の援助をえて工事を開始。延宝4年袋野堰(ふくろのぜき)の通水に成功した。貞享(じょうきょう)4年3月14日死去。72歳。通称は弥三左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android