湯島(読み)ユシマ

デジタル大辞泉 「湯島」の意味・読み・例文・類語

ゆしま【湯島】

東京都文京区南東部の地名。湯島神社聖堂麟祥院りんしょういんがある。

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精選版 日本国語大辞典 「湯島」の意味・読み・例文・類語

ゆしま【湯島】

  1. [ 一 ] 東京都文京区南東端の地名。武蔵野台地の末端をなし、湯島神社・湯島聖堂がある。
    1. [初出の実例]「谷中の門前町湯嶋(ユシマ)の宮の裏門」(出典:浮世草子・色里三所世帯(1688)下)
  2. [ 二 ] 湯島神社(湯島天満宮)のこと。
    1. [初出の実例]「ゆしまに懸けし松竹梅本郷お七と記し置く」(出典:浄瑠璃・八百屋お七(1731頃か)江戸桜)

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日本歴史地名大系 「湯島」の解説

湯島
ゆしま

古代豊島郡湯島郷(和名抄)を継承する。現文京区の南東端部を占め、東は上野・下谷地区、南は神田地区、西と北は本郷地区に囲まれる。隣接する本郷の地名は湯島本郷が詰まったものといわれ、かつては本郷地区を含む本郷台地一帯を湯島とよんでいたと思われる。また江戸初期の神田川開削で本郷台地の南端部は切断されたが、この切断部(神田台・神田山)も本来は湯島に含まれていたと推定される。なお古く上野の不忍しのばず池は海に通じており、当地一帯は島のようになっていたとか、かつて湯島天神近辺から温泉が湧いたなど、地名にかかわる幾つかの伝承がある(「御府内備考」など)

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改訂新版 世界大百科事典 「湯島」の意味・わかりやすい解説

湯島 (ゆしま)

東京都文京区南東端の地名。山手台地に含まれる本郷台地の南東端にあたり,湯島1~4丁目からなる。平安中期の《和名抄》所載の武蔵国豊島郡湯島郷の地とされている。その由来には温泉の湧出地があったからという説や,島状の地形であったからという説などがある。1487年(長享1)春に当地を訪れた尭恵法印の《北国紀行》には〈湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて……寒村の道すがら野梅盛に薫ず〉とみえる。戦国末期までなお野趣豊かな寒村であったが,徳川家康の関東入国(1590)以後,しだいに市街地化した。まず武家地としては,家康入国の翌月,不忍(しのばず)池畔に上州館林城主榊原康政の広大な屋敷ができ,1616年(元和2)にはのちの湯島切通片町・三組町一帯が中間,小人,駕籠者などの下級幕臣に大縄(組単位)で給された。

 町地として最初に開けたのは,湯島天神(湯島神社)の門前地である。1478年(文明10)太田道灌の再興と伝える同社は,古くから梅の名所として知られ,また上野広小路から切通坂をのぼった高台にあって眺望にも富んでいたので昔から訪れる人が多く,江戸時代には境内で植木市や富くじ興行も行われた。そのため同社の門前には水茶屋,煮売屋などが早くから立ち並び,1614年(慶長19)湯島天神門前町が誕生した。同町界隈にはやがて岡場所も発達した。また中山道の道筋は神田川にも近い運輸・交通の要地であったため,湯島天神門前町とほぼ同じころ町場化したとみられ,当地の特産品を扱う麴屋,味噌屋,植木屋をはじめ各種商店が並ぶ繁華な商業地であった。

 武家屋敷,町屋と並んで,光感寺,講安寺,麟祥院などの寺院も寛永年間(1624~44)ころまでに相次いで起立した。また1616年(元和2)には神田明神神田神社)が神田台の武家屋敷造成工事にともない当地に移転した。こうして寺社地の形成が進んだが,本郷丸山の本妙寺から出火した明暦の大火(1657)以後,寺院の多くは浅草,下谷,駒込などに移された。その跡地の大半は主として下級幕臣に大縄で給された。のちに坊主方,台所賄方,陸尺方などの給地内には神田明神下同朋町,同御台所町,妻恋町などの拝領町屋敷が起立した。なお,湯島天神とともに当地を代表する湯島聖堂は,1690年(元禄3)上野忍岡から湯島1丁目西側に移され,昌平坂学問所昌平黌)を併設して幕府教学の拠点となった。1878年の郡区町村編制法によって,湯島地域の大部分は東京府本郷区に,神田明神周辺は神田区にそれぞれ所属した。1947年本郷区と小石川区が合併して文京区,神田区と麴町区が合併して千代田区となる。現在は,正月になると受験合格祈願の参詣人で雑踏する湯島天神の所在地としてよく知られているが,江戸時代から明治期の面影を一部に残す文教・住宅・商業地域であり,都心部としては比較的閑静な環境を保ち,東京医科歯科大学,順天堂大学もある。なお,切通坂の北の無縁坂森鷗外の《》,湯島天神は泉鏡花の《婦系図》の舞台となった。
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百科事典マイペディア 「湯島」の意味・わかりやすい解説

湯島【ゆしま】

東京都文京区南東端の町名。湯島聖堂湯島天満宮神田明神,東京医科歯科大学などがある。天神下から上野池ノ端にかけての花街は泉鏡花の《婦系図(おんなけいず)》で有名。
→関連項目御茶ノ水林信篤本郷

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「湯島」の意味・わかりやすい解説

湯島(東京都)
ゆしま

東京都文京区南東端の地区。山手(やまのて)台地の一つ本郷台地の南端(湯島台地)にあたり、侵食谷が入り込んで島の形状を示すことが地名の由来という。東・南方の低地に臨むところに無縁坂、切通(きりどおし)坂、三組(みくみ)坂、湯島坂、新妻恋(しんつまこい)坂など坂が多い。南端に湯島聖堂、東京医科歯科大学がある。切通坂(春日(かすが)通り)には新派の戯曲『婦系図(おんなけいず)』で知られる湯島天神、本郷寄りに春日局(かすがのつぼね)の墓のある麟祥(りんしょう)院があり、同院の裏手のほうにある無縁坂は、森鴎外(おうがい)の『雁(がん)』の舞台となった。住宅のほか医療・理化学用機械の店が多い。東京地下鉄丸ノ内・千代田の各線が通る。

[沢田 清]


湯島(熊本県)
ゆしま

熊本県中西部、上天草市(かみあまくさし)に属する島。周囲約4キロメートル、面積0.52平方キロメートル。火山岩(玄武岩)で覆われた、島原湾に浮かぶ小島。天草・島原の乱のおり首領天草四郎時貞(ときさだ)らがひそかにこの地で談合したとの言い伝えがあり、地方(じかた)では「談合島」と称する。集落は南斜面に位置し、住民の多くは農業、漁業に従事。亜熱帯植物のアコウ樹の群生がある。タイ釣りの客がよく訪れる。大矢野島の西端江樋戸(えびと)港から日に4~5便の船便がある。同島西端にある湯島灯台は、早崎瀬戸、池島ノ瀬戸ほかから島原湾、有明海に入り込む諸船舶の重要な道標である。人口426(2009)。

[山口守人]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湯島」の意味・わかりやすい解説

湯島
ゆしま

熊本県南西部,大矢野島と島原半島の中間に浮かぶ小島。上天草市に属する。新第三紀層の砂岩,頁岩の上を玄武岩が覆う。島原の乱の謀議,談合が行なわれたことから「談合島」とも呼ばれる。ミカン栽培と漁業が中心。大矢野島から定期船の便がある。雲仙天草国立公園に属する。面積 0.52km2。人口 474(2000)。

湯島
ゆしま

東京都文京区南東端の地区。住宅・文教地区で,泉鏡花婦系図』の舞台として名高い湯島天満宮,江戸時代儒学の中心であった湯島聖堂,東京医科歯科大学などがある。

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デジタル大辞泉プラス 「湯島」の解説

湯島

熊本県上天草市、島原湾に浮かぶ天草諸島の島。大矢野島と島原半島の中間点に位置する。面積約0.52平方キロメートル。島の西端に大正時代に設置された湯島灯台がある。

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世界大百科事典(旧版)内の湯島の言及

【猿ヶ京[温泉]】より

…国道17号線沿いに温泉街が開ける。かつては利根川の支流赤谷(あかや)川沿いに,元和年間(1615‐24)の開湯といわれた湯島,笹の湯の2温泉があり,三国街道を行く旅人たちに親しまれてきた。1958年相俣ダムが完成し,温泉が湖底に沈んだため,赤谷湖北岸の現在地に移って名称も猿ヶ京となった。…

※「湯島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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