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出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都文京区南東端の地名。山手台地に含まれる本郷台地の南東端にあたり,湯島1~4丁目からなる。平安中期の《和名抄》所載の武蔵国豊島郡湯島郷の地とされている。その由来には温泉の湧出地があったからという説や,島状の地形であったからという説などがある。1487年(長享1)春に当地を訪れた尭恵法印の《北国紀行》には〈湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて……寒村の道すがら野梅盛に薫ず〉とみえる。戦国末期までなお野趣豊かな寒村であったが,徳川家康の関東入国(1590)以後,しだいに市街地化した。まず武家地としては,家康入国の翌月,不忍(しのばず)池畔に上州館林城主榊原康政の広大な屋敷ができ,1616年(元和2)にはのちの湯島切通片町・三組町一帯が中間,小人,駕籠者などの下級幕臣に大縄(組単位)で給された。
町地として最初に開けたのは,湯島天神(湯島神社)の門前地である。1478年(文明10)太田道灌の再興と伝える同社は,古くから梅の名所として知られ,また上野広小路から切通坂をのぼった高台にあって眺望にも富んでいたので昔から訪れる人が多く,江戸時代には境内で植木市や富くじ興行も行われた。そのため同社の門前には水茶屋,煮売屋などが早くから立ち並び,1614年(慶長19)湯島天神門前町が誕生した。同町界隈にはやがて岡場所も発達した。また中山道の道筋は神田川にも近い運輸・交通の要地であったため,湯島天神門前町とほぼ同じころ町場化したとみられ,当地の特産品を扱う麴屋,味噌屋,植木屋をはじめ各種商店が並ぶ繁華な商業地であった。
武家屋敷,町屋と並んで,光感寺,講安寺,麟祥院などの寺院も寛永年間(1624~44)ころまでに相次いで起立した。また1616年(元和2)には神田明神(神田神社)が神田台の武家屋敷造成工事にともない当地に移転した。こうして寺社地の形成が進んだが,本郷丸山の本妙寺から出火した明暦の大火(1657)以後,寺院の多くは浅草,下谷,駒込などに移された。その跡地の大半は主として下級幕臣に大縄で給された。のちに坊主方,台所賄方,陸尺方などの給地内には神田明神下同朋町,同御台所町,妻恋町などの拝領町屋敷が起立した。なお,湯島天神とともに当地を代表する湯島聖堂は,1690年(元禄3)上野忍岡から湯島1丁目西側に移され,昌平坂学問所(昌平黌)を併設して幕府教学の拠点となった。1878年の郡区町村編制法によって,湯島地域の大部分は東京府本郷区に,神田明神周辺は神田区にそれぞれ所属した。1947年本郷区と小石川区が合併して文京区,神田区と麴町区が合併して千代田区となる。現在は,正月になると受験合格祈願の参詣人で雑踏する湯島天神の所在地としてよく知られているが,江戸時代から明治期の面影を一部に残す文教・住宅・商業地域であり,都心部としては比較的閑静な環境を保ち,東京医科歯科大学,順天堂大学もある。なお,切通坂の北の無縁坂は森鷗外の《雁》,湯島天神は泉鏡花の《婦系図》の舞台となった。
執筆者:大石 庄一
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