九州北部をほぼ西流する九州第1の河川。〈筑紫(つくし)二郎〉の異名をもち,大分,熊本,福岡,佐賀の4県を流れる。幹川流路延長143km,全流域面積2860km2。九重山地に発する玖珠(くす)川と阿蘇外輪山に発する大山川が日田盆地で合流して三隅川となり,大分・福岡両県境部の夜明(よあけ)峡谷を経て筑紫平野に出る。ここから筑後川と呼ばれ,小石原川,宝満川などを合流して有明海に注ぐ。流域の年降水量は約2100mm,総流出量は約35億m3であるが,支流が日田盆地に多く集まるため,中・下流部ではしばしば洪水による被害を受ける。1625年(寛永2)以来30回に及ぶ大洪水の記録があるが,特に1953年6月には計画高水位を1.4m上回る史上最高の洪水となり,堤防が126ヵ所にわたって決壊し,死傷者5146人,流失・全壊家屋1801戸,流失・埋没した田畑3590ha,浸水した田畑4万5600haに達した。この大災害を契機に改修工事計画は大幅に変更され,現在では松原ダムと下筌(しもうけ)ダムにより洪水調節がなされている。他方,豊富な水量は約30の堰からの取水を可能にし,約5万5000haの水田を灌漑している。特に17世紀後半から18世紀前半にかけて難工事の末に完成した大石堰(灌漑面積2247ha),山田堰(698ha),恵利堰(床島用水。1927ha)は三大堰といわれ有名である。また有明海の干満の差が約6mと大きいため,満潮時に押し上げられた河川水(アオ)を取水する灌漑方法が下流部のクリーク地帯で行われている。本・支流に建設されている発電所は20ヵ所で総最大出力は約21万kW。おもな発電所としては松原(最大出力5万9000kW),柳又(6万1900kW),女子畑(おなごばた)(2万9500kW)などがある。福岡市をはじめとする都市への用水は,支流に建設された江川,寺内,山神の三つのダムから毎秒4.36m3取水され,また本流から取水する筑後大堰が久留米市内にある。
上流の大分県日田,熊本県小国地方には広大な杉の美林がみられ,日田市では製材業,木工業が盛んである。また源流部は阿蘇国立公園や耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園に指定されており,飯田高原の宝泉寺,筋湯,杖立,日田盆地の天ヶ瀬などの温泉地や,英彦山麓の民陶の里,小鹿田(おんだ)は,福岡県側の筑後川温泉とともに,多くの観光客を集めている。
執筆者:赤木 祥彦
近世,筑後川流域は幕府領,および久留米,福岡,佐賀の諸藩領に分かれていたが,主として水運を利用したのは久留米領であった。初期の水運は流域農村と城下との間の小規模なものであったと思われる。水運が盛んになるのは1646年(正保3)に久留米藩が年貢米の大坂輸送のために,城下入口の瀬下(せのした),および河口の榎津(えのきづ)(現,大川市)に河岸を開いてからである。流域には関(幕府領),荒瀬,恵利,住吉(以上久留米領)などの河岸ができた。18世紀に入ると流域農村で商品生産が進んだので,年貢その他の米や菜種,櫨蠟(はぜろう)などの積下ろしと大坂方面からの諸品の積上せがふえた。上流の幕府領からは長崎廻米(久留米領商人の請負)や材木,竹,炭などが積み下ろされた。こうした水運の発展を背景として,1752年(宝暦2)に河口に新たに開かれた若津湊が川船と海船との中継港としてしだいに栄え,やがて榎津にとって代わるに至った。
執筆者:野口 喜久雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
福岡、佐賀、熊本、大分の4県にまたがり、有明海(ありあけかい)に注ぐ九州第一の大河で、「筑紫次郎(つくしじろう)」の異名をもつ。延長143キロメートル、流域面積2860平方キロメートルの一級河川。阿蘇(あそ)外輪山に源を発する大山川(おおやまがわ)と、久住(くじゅう)山に源を発する玖珠川(くすがわ)とが日田(ひた)盆地で合流して三隈川(みくまがわ)となり、大分・福岡県境山地の狭隘(きょうあい)な夜明峡谷(よあけきょうこく)を経て、筑紫平野に出、筑後川となる。その後、佐田(さた)川、小石原(こいしわら)川、巨勢(こせ)川、高良(こうら)川、宝満(ほうまん)川などの支流を合流しながら蛇行を続け、筑後平野、佐賀平野を貫流、柳川(やながわ)市で有明海に注ぐ。上流部は阿蘇、久住などの火山群の噴出物によって覆われ、複雑な地質を構成し、杖立(つえたて)、天ヶ瀬(あまがせ)など多数の温泉が分布、植林も盛んで日田の林業は有名である。中・下流は古生代の三郡(さんぐん)変成岩などからなり、平野部は更新世(洪積世)末期から完新世(沖積世)初期の堆積(たいせき)層がこれを覆っているが、扇状地、自然堤防の発達はあまり著しくない。下流の三角州平野は無数のクリークが網状に発達した水郷(すいごう)景観が広がり、水田農業の発展が著しく、九州一の穀倉地帯である。
上流が九州山地の多雨地であるために水量が多く、古来水害が多発したため、治水工事は江戸時代に佐賀藩により始められたが、一貫性に乏しく、明治20年代に入って近代的な改修工事が開始された。1921年(大正10)の洪水を契機に本格的な改修工事に入ったが、1953年(昭和28)の大水害により1957年以降松原、下筌(しもうけ)両ダム建設を含む抜本的治水対策がたてられ、1973年には工事実施基本計画を改定、現在に至っている。
農業用水としての利水も早く、江戸時代より福岡県うきは市の大石堰(おおいしぜき)、朝倉(あさくら)市の山田堰(やまだぜき)、大刀洗(たちあらい)町の床島堰(とこしまぜき)など多数の井堰、用水路などが築かれて総灌漑(かんがい)面積は約5万5000ヘクタールに及ぶが、1975年には江川(えがわ)ダム、1983年には久留米(くるめ)市に筑後大堰が建設され、福岡市をはじめとする都市用水としての利用も進んでいる。水運も古くから盛んで、若津(わかつ)(大川(おおかわ)市)、日田などの河港を発達させる一方、鐘ヶ江(かねがえ)、青木島(あおきじま)など多数の渡しがあったが、現在では架橋が進みほとんど消滅した。河口左岸の大川市は家具工業、久留米市城島(じょうじま)町は酒造業が盛んであり、その運搬のために国鉄佐賀線(1987年廃止)筑後川橋梁(きょうりょう)(1935年完成)は九州唯一の昇開式可動橋であった。河口付近では有明海の干潟を利用して干拓地が広がる。また、ノリ養殖をはじめ、有明海特有の魚貝類の漁も盛んであったが、近年は環境汚染と生物の減少が深刻な問題となっている。包蔵水力は約30万キロワットで、発電所が23か所で総最大出力は約22万キロワット(2004)である。
[石黒正紀]
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…55年宮方は筑前に攻め入り,一色氏は長門に逃れた。59年(正平14∥延文4)8月,幕府方の少弐頼尚と宮方の菊池武光の両軍が当国大保原(おおほばる)に戦い,少弐氏は大軍にもかかわらず敗北した(筑後川の戦)。63年(正平18∥貞治2)9月には大友氏時が幕府から当国守護に補任され,守護職はそのまま子の氏継に伝えられた。…
…人口7935(1995)。筑後川下流に位置し,川をへだてて東は福岡県久留米市に接する。全域が筑後川の沖積地からなり,脊振山地を源とする寒水(しようず)川,切通川,井柳川などが町を縦断,クリークも縦横に走り,水害を被ることが多かった。…
※「筑後川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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