田寺村
たでらむら
[現在地名]姫路市田寺一―八丁目・田寺山手町・田寺東一―四丁目
飾西郡に所属。辻井村の北に位置し、南東は新在家村。大永年中(一五二一―二八)の惣社走馬之記(智恵袋)によれば、惣社(射楯兵主神社)の走馬神事に「田寺村構」の田寺新助が出役している。「播磨鑑」に田寺構居がみえ、領主は赤松氏家臣の田寺河内守信貞で、天正(一五七三―九二)頃に滅んだと記される。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代を通して姫路藩領。正保郷帳では田方四七二石余・畠方二二七石余。天保郷帳では高九〇三石余。天明元年(一七八一)の家数一二六・人数五二八、牛二七、溜池として大池・中池・コトロシ池・七草池があり、寛永七年(一六三〇)に完成した飾西郡最大の大池は田寺・辻井・新在家・東辻井・北今宿五ヵ村の入会池であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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