赤松義村(読み)あかまつ よしむら

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤松義村」の解説

赤松義村 あかまつ-よしむら

1472-1521 室町-戦国時代の武将
文明4年生まれ。赤松政則(まさのり)の養子となり,播磨(はりま)(兵庫県)・備前(岡山県)・美作(みまさか)(岡山県)守護職をつぎ,播磨置塩城主となる。実権をにぎっていた備前守護代浦上村宗(むらむね)をしばしば攻めたが敗れ,家督を息子晴政にゆずって出家した。のち村宗により播磨室津(むろつ)に幽閉され,大永(たいえい)元年9月17日殺された。50歳。法名は性因。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の赤松義村の言及

【備前国】より

…1484年(文明16)から88年(長享2)にわたる山名政豊の播磨,備前への侵入は旧領奪回をねらったものであったが,失敗した。 政則の死後赤松氏が衰えると,代わって三石城を本拠とする浦上氏が台頭し,浦上村宗は主君赤松義村を幽閉暗殺して実権を握り,細川高国を擁して上洛し覇権を掌握しようとしたが,義村の子政村(のちの晴政)が三好元長に内応したことにより摂津大物(だいもつ)で敗死した。村宗の子宗景は本拠を三石城から天神山城に移したが,凡庸で家臣宇喜多直家に権力を奪われた。…

※「赤松義村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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