日本歴史地名大系 「田島崎城跡」の解説 田島崎城跡たしまざきじようあと 大分県:下毛郡三光村成恒村田島崎城跡[現在地名]三光村成恒 狐塚成恒(なりつね)の小丘上にある。相良氏の上毛(こうげ)郡成恒庄(現福岡県新吉富村)の地頭代であった大蔵姓成恒氏が、一五世紀初めにこの地を買得、移住して築城した。天正四年(一五七六)八月一六日の田原紹忍安堵状(成恒文書)に、「其方居屋敷田島崎事、野仲鎮兼被申儀候哉、既防(ママ)家已来百五拾年無相違知行候上者、今以違乱、太無謂候」とあるように、応永年間(一三九四―一四二八)頃の弘種から、盛種・種秀・氏種・清種・矩種(鎮家)・統忠と続いている。「両豊記」にもしばしば登場し、天正一〇年島津家に与同した「野中重兼三百余騎にて、上(下)毛郡田島崎の城に押寄、手痛く攻かけければ、城主成恒越中守鎮家、城戸を開て討て出、火花を散らして戦ひける。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報