喜殿庄(読み)きどののしよう

日本歴史地名大系 「喜殿庄」の解説

喜殿庄
きどののしよう

摂関家領である。もとは一一世紀前半に大和守となった源頼親の私領であったものと考えられるが、おそらく彼の寄進によって摂関家領になったものであろう。頼親は領家である。その後、この領家職は子頼房、次いでその女子および女婿業房(高階氏)に相伝されたが、相論となり業房が関白左大臣(藤原師実)家政所に訴えた。承保三年(一〇七六)関白左大臣家政所下文案(東大寺文書)には「件庄(喜殿庄)田畠山野等元者故肥前守源朝臣頼房所領也、而去延久六年八月之比、相副本公験条里坪付等、所充給女子并業房等也、随則任処分帳、擬領宰(ママ)之処、件処分田畠等入交女子之分、成相論者(下略)」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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