田沢鐐二(読み)タザワ リョウジ

20世紀日本人名事典 「田沢鐐二」の解説

田沢 鐐二
タザワ リョウジ

大正・昭和期の内科医学者



生年
明治15(1882)年6月29日

没年
昭和42(1967)年8月21日

出生地
愛知県

学歴〔年〕
東京帝国大学医科大学〔明治42年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
厚生大臣表彰〔昭和33年〕,朝日保健文化章〔昭和33年〕,勲二等瑞宝章

経歴
東京帝大入沢内科に入局し、大正5年東京医学専門学校内科教授に就任。9年東京市療養所所長になり、11年には日本結核病学会の設立に尽力する。12年渡米。昭和3年日本結核病学会会長、14年結核予防会評議員を歴任し、18年結核予防事業に貢献したことで皇后より下賜金を賜わる。24年平和協会駒沢病院長となり、30年日本結核病学会名誉会員。著書に「サナトリウム」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田沢鐐二」の解説

田沢鐐二 たざわ-りょうじ

1882-1967 大正-昭和時代の内科学者。
明治15年6月29日生まれ。大正9年(1920)東京市の結核療養所(現国立療養所中野病院)初代所長となり,結核の予防と治療につとめ,昭和3年日本結核病学会会長となる。24年平和協会駒沢病院長。昭和42年8月21日死去。85歳。愛知県出身。東京帝大卒。著作に「サナトリウム」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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