日本歴史地名大系 「田無村」の解説
田無村
たなしむら
現市域の西半分を占め、多摩郡に属する。北は
慶長四年(一五九九)の廊之坊諸国檀那帳(熊野那智大社文書)に「たなし」とみえる。田園簿に村名がみえ、高五九五石余、皆畑。江戸時代初頭は幕府領であったが、三人の旗本に分知され、田中市郎右衛門が一四五石余、蜂屋源右衛門と坂部次兵衛が各七五石を知行、幕府領は三〇〇石余となった(田園簿)。元禄二年(一六八九)頃に坂部領、同一一年に田中領と蜂屋領が上知となり、再び一村が幕府領となって幕末に至る(旧高旧領取調帳・「田無市史」)。天保一四年(一八四三)の家数二六四・人数一千一九二(「村方巨細取調書上帳」下田家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報