甲州道中の内藤新宿追分付近で分岐し、武蔵野台地を西進して
藁)。当街道はこのようにして上成木・北小曾木から白壁用の石灰を搬出するため、江戸と青梅宿の約一一里を直接に結び付けるために大久保長安によって整備された街道である。
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東京都新宿区から山梨県甲府市へ至る道路。江戸時代には新宿の追分で甲州街道と分かれ、中野、青梅、大菩薩(だいぼさつ)峠、塩山(えんざん)を経て、甲府東郊でふたたび甲州街道に合した。明治になって大菩薩峠越えを柳沢(やなぎさわ)峠越えに変更した。青梅に近い成木(なりき)村の石灰を江戸城工事用に運んだので成木街道ともよばれた。甲州街道の裏街道として利用され、江戸末期には志士や凶状持ちがよく通ったという。薪炭(しんたん)などの林産物や武蔵野(むさしの)新田の農産物の輸送にも利用された。多摩川の谷口集落である青梅には定期市(いち)が立って山の物産の取引にあたり、中野には農産物の集荷問屋が栄えた。
[中島義一]
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…江戸浅草阿部川町の名主喜兵衛ほか4人の出願によって1698年(元禄11)に置かれた新しい宿駅である。宿はずれの追分(おいわけ)で青梅街道を分岐し,両者の第1宿を兼ねる。江戸日本橋まで2里(8km足らず),西の次の宿へは甲州道中の下高井戸宿まで2里,青梅街道の中野村まで20丁(2km余)である。…
※「青梅街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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