田籠村(読み)たごもりむら

日本歴史地名大系 「田籠村」の解説

田籠村
たごもりむら

[現在地名]浮羽町田籠

隈上くまのうえ川の最上流域に位置し、南東は豊後国日田郡境と接する。朝田あさだ村から当村を経て豊後国柚木ゆぎ(現大分県前津江村)に至る小道があり、当村から豊後国境まで二一町三〇間、新河川(現隈上川)に渡場五ヵ所があった(正保四年大小道之帳)。天正八年(一五八〇)と推定される七月二七日の大友円斎書状(問注所文書/福岡県史資料一〇)によると、同月二〇日「田籠村」に秋月・星野衆が攻め込み放火したが、問注所勢が防戦し、敵一六人を討取った。また翌年九月二二日にも「田籠端村」に敵襲があり、問注所統景家中の田籠因幡守が星野仁五郎を、田籠六右衛門が倉留新三郎を討取っている(「問注所統景分捕討死注文」同上)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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