田辺伯孫(読み)たなべのはくそん

朝日日本歴史人物事典 「田辺伯孫」の解説

田辺伯孫

日本書紀』にみえる河内国飛鳥戸郡(羽曵野市,柏原市)の人。帰化系氏族田辺史の祖。古市郡の書首加竜に嫁いだ娘が出産し,聟の家へ祝いに出かけ,月夜に帰る途中,誉田陵(羽曵野市のいわゆる応神天皇陵)のもとでみごとな赤い駿馬に乗った人にあう。伯孫が心にこれを欲すると,乗り手はそれを知って馬を交換してくれた。翌朝,うまやの赤駿は埴輪の馬に変じ,誉田陵を捜すと,埴輪の馬の中に自分の葦毛の馬がいたのでふたたび取り換えたという。伝承では,応神天皇を胎内に宿した神功皇后新羅征討により,新羅から馬,馬具などが献上されたといい,日本の乗馬起源はそこから起こったとされる。伯孫の物語はその伝承とも関連があろう。

(寺田恵子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田辺伯孫」の解説

田辺伯孫 たなべの-はくそん

「日本書紀」にみえる田辺史(ふひと)の祖。
渡来系の氏族で,河内(かわち)(大阪府)飛鳥戸郡(あすかべのこおり)の人。雄略天皇9年娘が出産したので婿の家をたずねての帰途,誉田陵(ほむたのみささぎ)(応神天皇陵)のもとで赤い駿馬(しゅんめ)にのった人にあい,馬を交換した。翌朝その馬は埴輪(はにわ)の馬となっており,誉田陵にいってみると埴輪の馬のなかに自分の馬がいたという。名は百尊とも。

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