日本歴史地名大系 「田頼郷」の解説 田頼郷たよりごう 島根県:安来市田頼郷田頼川流域の現田頼町一帯にあった国衙領。古代の能義(のぎ)郡野城(のき)郷(和名抄)の一部が開発されて成立したとみられる。建長元年(一二四九)六月日の杵築大社造営所注進状(北島家文書)に、流鏑馬勤仕の国衙領の一つとして「田頼郷」とみえる。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳には、第五番に「田頼郷十一丁九反半大島弥二郎子」とあり、東国信濃の御家人大島氏が地頭(新補地頭か)であった。その後の経過は史料を欠いて不明。下って永禄一二年(一五六九)七月二八日、毛利氏は富田(とだ)八幡宮(現広瀬町)の神主田辺源大夫に「田頼之宮」や吉田(よしだ)八幡・荒島(あらしま)八幡など能義郡内五ヵ所の神社を与え、祭礼・社頭建立などを行うよう命じた(「天野隆重・新藤就勝連署状」竹矢家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by