新補地頭(読み)シンポジトウ

デジタル大辞泉 「新補地頭」の意味・読み・例文・類語

しんぽ‐じとう〔‐ヂトウ〕【新補地頭】

承久の乱以後、鎌倉幕府が朝廷方から没収した土地に新たに補任した地頭。→本補地頭

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精選版 日本国語大辞典 「新補地頭」の意味・読み・例文・類語

しんぽ‐じとう‥ヂトウ【新補地頭】

  1. 〘 名詞 〙 鎌倉幕府の制で、承久の乱以後、朝廷側の所領に新たに任命された地頭。新補率法により一一町別に一町の給田と段別五升の加徴米を与えられる。新補。⇔本補地頭
    1. [初出の実例]「西国庄公新補地頭、并本補輩之中、依領家預所訴訟、或遂一決裁断」(出典新編追加‐寛喜二年(1230)一一月七日)

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改訂新版 世界大百科事典 「新補地頭」の意味・わかりやすい解説

新補地頭 (しんぽじとう)

鎌倉時代,新たに補任した地頭の意。初めは本領安堵の地頭に対して新恩の地頭を意味した。承久の乱(1221)後には率法にもとづく得分をもって補任された地頭をいうようになる。幕府は承久の乱後に京方罪科人の所領・所職(しよしき)を奪い,新恩の地頭を補任したり,従来地頭が設置されていないところに新設したりして地頭制度の拡大を図った。その際に地頭得分に関し所務の先例がある場合はこれを継承させ,よるべき先例のない場合は得分の率法を定めた。〈新補率法の地頭〉としての新補地頭はこれを指す。新補率法の得分内容は(1)田畠11町別に1町ずつの地頭給田畠,(2)1段ごとに5升ずつの加徴米,(3)その他,山野河海の所出はこれを領家・国司と地頭とで折半,犯科人跡は領家方が3分の2,地頭方が3分の1などというものであった。一般に給田畠ならびに加徴米は,定田畠(じようでんぱく)(荘園領主の課税対象になる田畠)の員数についての割合で正税官物よりこれを募った。また山野河海の所出については本年貢たるものを除いた残りを半分の沙汰とした。鎌倉末期になると概念が混乱し,《沙汰未練書》では〈承久兵乱の時,没収の地をもって宛給所領等の事なり〉と規定されている。これによれば新補地頭とは承久の乱後の恩賞として補任された地頭すべての呼称とされ,新補地頭の概念が拡大されていることがわかる。この場合,承久の乱前に補任された地頭のことは本補地頭と呼んで新補地頭と区別した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新補地頭」の意味・わかりやすい解説

新補地頭
しんぽじとう

1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱ののち、勝利した鎌倉幕府が敗北した朝廷側(京方)から没収した膨大な所領に新しく補置した地頭。その所職(しょしき)や得分(とくぶん)の内容は、在来地頭や下司(げし)が置かれていた所ではそれを継承し、それのない所では一律に11町ごとに1町の給田(きゅうでん)、反別(たんべつ)5升の加徴米、山野河海所出物(さんやかがいしょしゅつぶつ)の国司領家(こくしりょうけ)との折半、犯罪人跡所領3分の1の収得、下地進退(したじしんたい)の禁止などの規準(率法(りっぽう))を定めた。したがって厳密には後者を新補率法地頭とよぶが、のち地頭の支配の拡大に伴ってその差異はしだいに有名無実化した。

[義江彰夫]

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百科事典マイペディア 「新補地頭」の意味・わかりやすい解説

新補地頭【しんぽじとう】

承久(じょうきゅう)の乱後,鎌倉幕府が没収した朝廷方の土地に新たに設けられた地頭。本補(ほんぽ)地頭に対。前任者の地頭得分に先例がある場合はその先例に従わせたが,前任者の収益内容が特に少なかったり不明であった場合は,新補率法(りっぽう)によって田畑11町ごとに1町の田畑および反当り5升の加徴米(かちょうまい)を与えた。しかし地頭の領主化が進むにしたがって〈新補〉と〈本補〉との区別は意味を失った。
→関連項目式目追加地頭

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新補地頭」の意味・わかりやすい解説

新補地頭
しんぽじとう

本来は新たに補任した地頭,すなわち新恩の地頭をいう。承久の乱 (1221) 後に補任された新補率法の地頭はその代表的なもの。鎌倉幕府は,乱後院方の所領 3000ヵ所あまりを没収し,論功行賞を行なって勲功のあった御家人を地頭職に補任し,田畑 11町ごとに1町の給田と反別5升の加徴米山手,川手は領家と折半するという地頭職に対する得分率法を定めた。このような新補率法による地頭を新補地頭と呼び,従来の慣例による得分を得る本補地頭と区別した。この新補地頭の設置により,幕府の権力が全国に及ぶことになり,全国的政権に成長発展することとなった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「新補地頭」の解説

新補地頭
しんぽじとう

承久の乱(1221)後に任じられた地頭。乱後,鎌倉幕府は京方から3000余カ所の所領を没収,そこに新たに地頭を任命した。ほとんどが西国に分布し,地頭の多くは東国の御家人であった。彼らの得分は,前任の地頭・下司のものを継承するのが原則だったが,少ない場合や先例のない場合には新補率法によった。得分を新補率法による地頭のことを,とくに新補率法地頭,あるいはたんに新補地頭とよぶこともあった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「新補地頭」の解説

新補地頭
しんぽじとう

鎌倉時代,承久の乱(1221)後,新たに補任された地頭
本補地頭に対する語。乱後,鎌倉幕府は上皇方に味方をした公家や武士などから没収した所領3000余か所に,御家人を地頭として任命した。その得分(収入)は,先例のない場合は新補率法で定められ,11町につき1町の免田,1段あたり5升の加徴米,山野河海の税の半分などが与えられた。

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世界大百科事典(旧版)内の新補地頭の言及

【地頭】より

…これには平家没官領や承久の乱における3000余ヵ所の没収地,そのほか畠山,和田,三浦,安達など族滅された諸氏の所領,さらには一般犯罪人跡などが対象とされた。(3)については,承久の乱後に制定された率法に基づく得分を内容とする新補地頭(新補率法地頭)とそれ以外の本補地頭ということになる。ただしかかる本補・新補の区別は時代が下るにつれ混乱し,鎌倉末期の《沙汰未練書》などには〈承久兵乱の時,没収の地をもって宛給所領等の事なり〉とあり,承久の乱後に設置された地頭をすべて新補地頭とする観念が一般化する。…

【寄船】より

…寄船はしばしば貴重な財であったから,その取得をめぐって紛争の起こることが多い。発見者,救出者が慣習的にその取得の権利を有したが,新補地頭は海業得分の一つとして寄船の取得権を公認されている。また紛争回避の意味もあってか,社寺に寄進される例が多い。…

※「新補地頭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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