朝日日本歴史人物事典 「甲把瑞繹」の解説
甲把瑞繹
生年:生年不詳
江戸後期の蘭方医。土佐国高岡郡窪川村(高知県窪川町)生まれ。号は長恒,南巣,如行斎,瑞益。土佐の野町少薀に医学を学ぶ。のち上洛し,万病一毒説と親試実験を唱えた吉益東洞に師事した。帰郷後は幡多郡下田港,のち中村に移って開業し,進歩的医家として知られた。土佐藩では安政1(1854)年に藩医石坂玄泰が人体解剖の必要を説いたが容れられず,文久1(1861)年に刑屍の人体解剖が実施されたが,これは先覚者瑞繹の親試実験精神の開花とみられる。<著作>『陳氏秘要方』『全台要方』『仁井田郷談』<参考文献>『平尾道雄選集』2巻
(福島義一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報