甲把瑞繹(読み)かっぱ・ずいえき

朝日日本歴史人物事典 「甲把瑞繹」の解説

甲把瑞繹

没年享和3(1803)
生年:生年不詳
江戸後期蘭方医土佐国高岡郡窪川村(高知県窪川町)生まれ。号は長恒,南巣,如行斎,瑞益。土佐の野町少薀に医学を学ぶ。のち上洛し,万病一毒説と親試実験を唱えた吉益東洞に師事した。帰郷後は幡多郡下田港,のち中村に移って開業し,進歩的医家として知られた。土佐藩では安政1(1854)年に藩医石坂玄泰が人体解剖の必要を説いたが容れられず,文久1(1861)年に刑屍の人体解剖が実施されたが,これは先覚者瑞繹の親試実験精神の開花とみられる。<著作>『陳氏秘要方』『全台要方』『仁井田郷談』<参考文献>『平尾道雄選集』2巻

(福島義一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「甲把瑞繹」の解説

甲把瑞繹 がっぱ-ずいえき

1737-1803 江戸時代中期-後期の蘭方医。
元文2年生まれ。京都で吉益東洞にまなび,郷里の土佐(高知県)にかえって開業。寛政7年(1795)土佐下田浦に漂着した琉球船乗客,石川積医堂の病気をなおす。その縁で積医堂がしめした医書をもとに「陳氏秘要方」を著述。享和3年10月4日死去。67歳。名は長恒。別号に南巣,恕行斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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