江戸中期の本草(ほんぞう)学者。江戸神田の生まれ。通称元雄、名は登、藍水は号。阿部将翁(あべしょうおう)に本草を学び、諸国を採薬して、その栽培に従事した。幕命でチョウセンニンジンの国産化を図り、種子栽培に努め、各地への移植に成功した。20歳でその方法を記述した『人参譜(にんじんふ)』を著す。30歳のときの著『人参耕作記』では栽培・調製法を記述した。36歳のとき幕府医学館教授となり本草を講じる。1757年(宝暦7)本郷(ほんごう)湯島で第1回物産会を催し、多年諸国から採集した動植鉱物類を陳列公開した。旅の不自由な当時、諸国の物産を一堂に集めた企画は、本草家相互の研究に便宜を与え、一般の好評を博した。門人に平賀源内、大槻玄沢(おおつきげんたく)、森立之(もりたつゆき)らがいる。
[根本曽代子]
幕府の医官。本草家。本姓坂上(さかのうえ)。名は登,字は元台,通称元雄。藍水は号である。江戸の生れ。15歳で医学を学び,本草を阿部将翁(?-1753)に学ぶ。早くからチョウセンニンジンに関心をもち,1737年(元文2)幕府から種子を下付され,栽培を試みる。63年(宝暦13)幕府の医官に任ぜられ,国産ニンジンの栽培,製薬に当たる。また諸国を巡歴し,物産調査を行った。57年弟子の平賀源内の提唱により,江戸湯島で薬品会(やくひんえ)を開く。翌年,翌々年と会主になり薬品会を開き,本草学の発展に貢献。著書は《人参譜》(1737稿),《人参製秘録》(1751稿),《朝鮮人参耕作記》(1764刊),《甘蔗製造伝》(1762稿),《中山伝信録物産考》(1769稿),《琉球産物誌》(1770稿)など多数。《豪猪(ごうちよ)図説》(1773稿)は,幕府から下付され飼育したヤマアラシの図説である。江戸に没し,浅草真竜寺に葬られる。墓は現存。
執筆者:矢部 一郎
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(磯野直秀)
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