甲斐庵跡(読み)かいあんあと

日本歴史地名大系 「甲斐庵跡」の解説

甲斐庵跡
かいあんあと

[現在地名]三次市三次町 寺戸

西城さいじよう川の東側寺戸てらど集落の甲斐谷にあり、赤穂浪士の一人菅谷半之丞時節を待って寓居した庵跡。「芸藩通志」に「上里村寺戸の甲斐庵に寓居し、自ら足躄と称し蹤跡を秘す、後有馬坐湯を告て辞し去る、其年義に死せりといふ」と記す。菅谷半之丞が三次へ寓居を求めた理由について三次町の「国郡志下調書出帳」は、三次藩家中徳永氏を頼って来たとするが、切腹一ヵ月前の元禄一六年(一七〇三)正月に半之丞の書いた親類書(「赤穂義人纂書」所収)によると、兄岡本松之助および姉は備後三次に居住とあり、兄の娘も姉の娘も三次家中に嫁しており、兄の娘は徳永彦右衛門妻とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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