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赤穂浪士 アコウロウシ

デジタル大辞泉の解説

あこう‐ろうし〔あかほラウシ〕【赤穂浪士】

赤穂義士
大仏次郎の長編歴史小説。昭和2年(1927)から昭和3年(1928)にかけて東京日日新聞に連載。これに加筆した単行本は昭和3年(1928)から昭和4年(1929)にかけて刊行。

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百科事典マイペディアの解説

赤穂浪士【あこうろうし】

元禄15年(1702年)12月14日夜,江戸本所に高家肝煎(こうけきもいり)吉良義央(きらよしなか)の首級をあげ主君の仇を討った大石良雄以下46人をいう。討入りの際に脱落した寺坂吉右衛門を加え一般に四十七士という。
→関連項目赤穂藩敵討福本日南堀部安兵衛

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デジタル大辞泉プラスの解説

赤穂浪士

長谷川裕久による戯曲。1995年、水戸芸術館ACM劇場のプロデュース初演。1996年、第40回岸田国士戯曲賞の候補作品となる。

赤穂浪士

1964年放映のNHKの大河ドラマ。原作は、大佛次郎の同名小説。赤穂浪士の吉良邸討ち入りまでの人間模様を描く。討ち入りの回で、大河ドラマ史上最高(当時)の視聴率53.0%を記録。脚本:村上元三。音楽:芥川也寸志。出演:長谷川一夫・山田五十鈴ほか。

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世界大百科事典 第2版の解説

あこうろうし【赤穂浪士】

1701年(元禄14)3月14日に,江戸城本丸松之廊下で播磨赤穂城主(5万3500石)浅野内匠頭長矩(ながのり)が高家肝煎(きもいり)(旗本)であった吉良上野介義央(よしなか)に突然斬りかかって傷を負わせた事件があった。この日は幕府の年賀に対する答礼のため京都から遣わされた勅使・院使に対して,将軍徳川綱吉の挨拶が白書院で行われるはずであったが,事件は勅使らの到着直前に起こった。浅野長矩は勅使の御馳走役であったが職務を放擲(ほうてき)して事を起こしたのである。

あこうろうし【赤穂浪士】

大仏(おさらぎ)次郎長編小説。1927‐28年(昭和2‐3),《東京日日新聞》に連載。28‐29年,改造社から3巻本として刊行。この小説中の大石良雄は,松の廊下での刃傷事件に対する幕府の処置をけんか両成敗の原則への違背とみなし,彼の指導する吉良屋敷への討入りを〈御公儀に向けての反抗,大異議〉と規定する。すなわち作者は,赤穂事件を描くさいに,講談風の封建的な義士礼賛を排し,芥川竜之介が歴史小説中でとった近代的解釈の方法を継承し,これに豊かな肉付けを加えて物語を展開させた。

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大辞林 第三版の解説

あこうろうし【赤穂浪士】

元禄15年12月14日(新暦では1703年1月30日にあたる)夜、江戸本所松坂町の吉良上野介こうずけのすけ義央よしなかの邸を襲って、主君浅野内匠頭たくみのかみ長矩ながのりの仇あだを報いた、四七人の元赤穂藩の浪士。赤穂義士。 → 忠臣蔵

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

赤穂浪士
あこうろうし

赤穂義士」のページをご覧ください。

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世界大百科事典内の赤穂浪士の言及

【江戸時代】より

…家老も,主君への依存性が強まる過程で少なくとも主君との感情共有が成立しているかのように行動することを強制されることとなった。赤穂浪士の敵討は彼らの言うところによれば吉良を憎いと思う主君の気持ちをみずからに感情移入した行動で,一種の集団殉死といえるものであったが,大石のような家老がその一員となることは初期にはありえないことであった。家老以下の家臣も,17世紀の後半のころ地方(じかた)知行から蔵米制への移行に伴って,大名から相対的に独立した武士としての実質を失っていった。…

【泉岳寺】より

…山号は万松山(ばんしようざん)。赤穂浪士の墓で知られる。1612年(慶長17)徳川氏により外桜田に創建され,開山には大中寺(栃木県大平町)の建室宗寅(けんしつそうえん)の弟子,門庵宗関(もんなんそうかん)(今川義元の三男ともいわれる)が迎えられた。…

【忠臣蔵物】より

…(1)赤穂浪士の復讐譚に取材した歌舞伎および人形浄瑠璃の作品の総称。〈忠臣蔵物〉という呼称は,代表作《仮名手本忠臣蔵》の名題に拠る。…

【日本】より

… 江戸時代の後半期に流行した石門心学の要点は,第1に,行為の評価は,その結果よりも意図によるべきこと,第2に,善意は,利己的でなく,社会から与えられた役割を果たそうとする意志として定義されること,第3に,最高の倫理的価値は,つねに善意の生じるような心的状態を培うことであった。赤穂浪士の復讐の圧倒的な人気――それは歌舞伎や映画を通じて200年以上も持続した――も,主君への忠誠という動機(家臣の役割に忠実な自己犠牲という善意),および彼らの集団の団結とかかわり,その行動の結果(私的暴力の行使による多数の犠牲者)とはかかわらない。石門心学の〈正しい心〉(善意)は,またしばしば〈誠〉(誠心誠意)と呼ばれる。…

【堀部安兵衛】より

赤穂浪士の一人。名は武庸(たけつね),安兵衛は通称。…

【赤穂浪士】より

…吉良邸に討ち入ったのは47人といわれるが,このとき切腹したのは46人である。彼らは世に赤穂浪士,赤穂四十七士または四十六士などと呼ばれており,この事件は全体として赤穂事件とよびならわされている。 赤穂浪士は死後,〈義人〉〈義士〉としてたたえられた。…

※「赤穂浪士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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