町保新田(読み)まちぼしんでん

日本歴史地名大系 「町保新田」の解説

町保新田
まちぼしんでん

[現在地名]茂原市町保・千代田町ちよだちよう東郷とうごう

高師たかし村の南東、南流する阿久あく川流域の平坦地に位置する。古くは千町せんちよう野の荒野に含まれ、天和二年(一六八二)開墾着手享保二〇年(一七三五)千町野の一部として町保新田の名称がつけられた(上総国町村誌)。同年幕府領となって幕末に至り、天保一四年(一八四三)鶴牧藩領となったという(海保家文書)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳に町保新田とみえ高九〇石余、幕府領。旧高旧領取調帳では鶴牧藩領五〇石余と旗本島田領三九石余の相給。天明三年(一七八三)の宗門人別帳(船橋市西図書館蔵)では高九〇石余のうち一六石余は出百姓持、七三石余は茂原村へ越石、家数一二軒の総持高は二〇石余、持高最高は四石余、最低は四斗余、人数四三、小轡こぐつわ蓮成れんじよう寺が七軒の旦那を占める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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