町尻量基(読み)マチジリ カズモト

20世紀日本人名事典 「町尻量基」の解説

町尻 量基
マチジリ カズモト

大正・昭和期の陸軍中将



生年
明治21(1888)年3月30日

没年
昭和20(1945)年12月12日

出生地
京都

学歴〔年〕
陸士(第21期)〔明治42年〕卒,陸大〔大正6年〕卒

経歴
伯爵壬生基修次男として生まれ、大正2年子爵町尻量弘の養子となる。砲兵将校となり、8年軍務局員、10年からフランスに駐在し、平和条約実施委員、大使館付武官補佐官を務めた。12年帰国、参謀本部野砲第1連隊勤務などを経て、昭和11年陸軍省軍事課長、12年軍務局長。この間2度侍従武官となる。13年中国戦線を経て、軍務局長に再任、14年中将となり、第6師団長(華中)、16年教育総監部初代化兵監、17年印度支那駐屯軍司令官を歴任し、20年予備役に編入

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「町尻量基」の解説

町尻量基 まちじり-かずもと

1888-1945 大正-昭和時代前期の軍人
明治21年3月30日生まれ。壬生基修(みぶ-もとなが)の次男。子爵町尻量弘の養子。フランス大使館付武官補佐官,軍務局長,第六師団長,印度支那駐屯軍司令官などをつとめる。昭和14年陸軍中将。昭和20年12月12日死去。58歳。京都出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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