壬生基修(読み)ミブ モトナガ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「壬生基修」の解説

壬生 基修
ミブ モトナガ


肩書
元老院議員

生年月日
天保6年3月7日(1835年)

出生地
京都

経歴
急進的な尊皇攘夷派として、朝権挽回を図る。一時政変により失脚したが慶応4年1月太政官参与として復帰した。5月には三等陸軍将に任じ、6月には会津征討越後口総督嘉彰親王の参謀として出征、明治2年1月に右近衛権少尉となった。ついで2月に越後府知事、10月東京府知事、4年12月には山形県権令等を歴任。8年7月元老院議官となった。

没年月日
明治39年3月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「壬生基修」の意味・わかりやすい解説

壬生基修
みぶもとなが

[生]天保6(1835).京都
[没]1906.7.24. 京都
幕末公卿維新政治家。庭田重基の子,壬生道吉の養子となる。急進的尊皇攘夷派として策動したが,文久三年八月十八日の政変で京都を追われ,三条実美らとともに長州へ落ちのびた (→七卿落 ) 。維新後,参与,知事を歴任,元老院議官となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「壬生基修」の解説

壬生基修 みぶ-もとなが

1835-1906 幕末-明治時代の公家,華族
天保(てんぽう)6年3月7日生まれ。藤原氏北家,園家の支流。庭田重基の3男。壬生道吉の養子。急進尊攘(そんじょう)派で,文久3年の八月十八日の政変により,七卿(しちきょう)のひとりとして長州にいく。明治2年越後(えちご)府知事,東京府知事となり,のち元老院議官,貴族院議員伯爵。明治39年3月6日死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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