日本歴史地名大系 「町方村」の解説 町方村まちかたむら 岐阜県:大野郡丹生川村町方村[現在地名]丹生川村町方平湯(ひらゆ)街道が東西に走り、西端は村内で南に折れて大洞(おおぼら)村(現高山市)に向かう。小八賀(こはちが)川と山口谷(やまくちだに)川が西方で合流し、さらに大萱谷(おおがやだに)川を合せて宮(みや)川に注ぐ。東の坊方(ぼうかた)村とともに古来南方(みなみがた)と称される。天文(一五三二―五五)頃御崎(おさき)神社の裏山に塩屋筑前守秋貞が尾崎(おさき)城を構え、城下町八賀(はちが)町を造った。永禄七年(一五六四)武田氏の部将山県(飯富)三郎兵衛昌景の飛騨侵攻の軍に敗れ、千蔵(せんぞう)寺・無量(むりよう)寺・六仙(ろくせん)寺などの寺院もこのとき焼失し、秋貞は古川(ふるかわ)(現吉城郡古川町)へ敗退した(宮川村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報