畑文平(読み)ハタ ブンペイ

20世紀日本人名事典 「畑文平」の解説

畑 文平
ハタ ブンペイ

大正・昭和期の眼科学者 岡山大学名誉教授。



生年
明治23(1890)年10月20日

没年
昭和39(1964)年7月11日

出生地
東京都北多摩郡保谷村(現・西東京市)

旧姓(旧名)
平井

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔大正5年〕卒,東京帝大大学院〔大正14年〕修了

学位〔年〕
医学博士〔大正15年〕

経歴
平井週作の二男に生まれ、明治40年中学生時代に叔父(母の妹婿)で東京牛込の眼科医・畑晴治郎の養子となった。大正5年大学を卒業、眼科学を専攻した。7年広島県病院眼科部長、11年東京帝大大学院に入学し、同年日本医学専門学校教授となる。大学院を卒業し、15年岡山医科大学(のちの岡山大学医学部)教授となる。昭和2年欧州に1年4ケ月間留学、17年から天津同仁会病院長を兼任した。22年退任し岡山市内で畑眼科医院を開業した。晩年は診療の傍ら、百働会岡山支部長、岡山烏城ライオンズクラブ会長として活躍中、ライオンズクラブ例会で脳出血で倒れ永眠。その角膜愛弟子で姪婿の赤木五郎岡山大学長(当時)の執刀によって2人の女性に移植された。著書に「日本眼科学教程」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畑文平」の解説

畑文平 はた-ぶんぺい

1890-1964 大正-昭和時代の眼科学者。
明治23年10月20日生まれ。大正7年広島県病院部長,15年岡山医大教授となる。昭和22年岡山市内で医院を開業した。死後,その角膜は移植された。昭和39年7月11日死去。73歳。東京出身。東京帝大卒。旧姓は平井。著作に「日本眼科学教程」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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