畑毛村(読み)はたけむら

日本歴史地名大系 「畑毛村」の解説

畑毛村
はたけむら

[現在地名]岩出町畑毛

紀ノ川から取水するろつ用水沿いに広がる。西と北は金屋かなや村、東はいばらもと村および西野にしの村。「続風土記」は「本は幡井といふ寛文記に出つ又畑といふ慶長検地帳に出つ、この村紀ノ川涯にありて河原なとにてありしを開墾して畑となしたるより畑毛ともいふ、又畠ともいふならん、幡井といふ義詳ならす」と記す。

長承元年(一一三二)一〇月三〇日付の鳥羽上皇院庁牒案(根来要書)に那賀郡河南かなん山前やまさき郷内の一村として「畠井」がみえる。畠井はたいの地はこの時立荘された高野山大伝法だいでんぼう院領山崎やまさき庄に属するが、これ以前は「畠井・名陵両村者平光昌相伝私領」であった。


畑毛村
はたけむら

[現在地名]函南町畑毛

柏谷かしや村の東にあり、南は奈古谷なごや(現韮山町)。弘長三年(一二六三)尼妙法が息子新田五郎重綱に「仁田郡畠村田在家、屋敷三所・給田二町五反」を譲ったが(「妙法譲状」大石寺文書)、重綱が死去したため、文永元年(一二六四)九月四日妙法のさきの譲状を受けて、沙弥道意が重綱に譲られた所領のうち「仁田郡畠村田在家、屋敷一所・田一町」を重綱の子新田五郎次郎に配分している(「道意譲状」同文書)


畑毛村
はたけむら

[現在地名]北勢町畑毛

向平むこひら村の北、員弁川支流田切たぎり川の東に位置する。「五鈴遺響」と「三国地志」によると、旧村名は高畠であり、「神鳳鈔」に「外宮高畠御薗三石」と記載されている地であるという。また「外宮神領目録」にも「高畠御園三石内 六月一石(九十二月一石宛)」とあり、中世この地が伊勢神宮領であったことが推定される。江戸時代は桑名藩領。文政七年(一八二四)の村明細帳(徳川林政史蔵)には、戸数三〇、人数一三四(男七二・女六二)、牛一一、馬一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android