畔蒜郡
あびるぐん
上総国の西部に置かれた古代の郡。望陀郡の北東部に位置したと推定される。「和名抄」東急本などでは阿比留の訓を付し、同書名博本や「延喜式」民部省および「拾芥抄」ではアヒルと訓じている。郡の成立は明らかでないが、天平勝宝五年(七五三)六月一五日の仕丁送文(正倉院文書)に安比留郡新田郷とみえ、日下部が存在していた。「和名抄」によれば新田郷のほか、美々・小河・甘木・
原・三衆の五郷が置かれており、「養老令」戸令定郡条の規定では下郡に相当する。郡家の所在地は未詳であるが、地名により現木更津市下郡とみる説がある。宝亀期(七七〇―七八〇)に十禅師の一人と称された奈良元興寺の広達(俗姓下毛野朝臣)は武射郡か畔蒜郡の人と伝える(「日本霊異記」中巻二六)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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